半世紀ぶりに訪ねた都電の踏切。軌道跡の痕跡は霧散しており、画面左隅の洋食店を目安に定点を探した。(撮影/諸河久:2021年3月4日)
半世紀ぶりに訪ねた都電の踏切。軌道跡の痕跡は霧散しており、画面左隅の洋食店を目安に定点を探した。(撮影/諸河久:2021年3月4日)

 次のカットが、この地点の定点撮影だ。軌道敷跡が閉鎖されたために、都電の踏切があったことは判別できない。右側が上野グリーンクラブの建物。旧景左端の角地は青果店だったが、現在は「匠のローストビーフ キッチンフォーク 東京」の洋食店が盛業中。

 最後のカットが「池之端の専用軌道」の終端にあたる池之端七軒町(1967年に池之端二丁目に改称)に到着した20系統須田町行きの都電。
 

根津方向から不忍通りを進んだ都電は、池之端七軒町を左折して1000m余り続く専用軌道に入って行く。 池之端七軒町(撮影/諸河久:1965年11月23日)
根津方向から不忍通りを進んだ都電は、池之端七軒町を左折して1000m余り続く専用軌道に入って行く。 池之端七軒町(撮影/諸河久:1965年11月23日)

 背景の不忍通りに敷設された道坂線を右手に進むと、戦火を免れた古い家並みが続く根津の町々を通り、明治の文豪たちが居住した駒込千駄木町や江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」の舞台となった駒込道坂町に至った。

「池之端の専用軌道」から都電が消えたのは1971年3月で、最後まで残った20系統(江戸川橋~須田町)が有終の美を飾った。

 2008年になって、池之端七軒町停留所跡地に「池之端児童公園」が開設された。矩形の狭い敷地に、荒川線を退役して文京区が保存している7500型を見ることができる。

■撮影:1963年5月12日

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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