米誌「タイム」が表紙に日本の岸田首相を掲載、見出しで「軍事大国化を望む」と紹介した。電子版では見出しが弱めのトーンに修正されたが、識者は「大軍拡が始まった」と指摘する。AERA 2023年6月12日号の記事を紹介する。
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あの夜の光景は、80年近く経っても片時も忘れることはない。
「人が燃えながら走って、お母さんに背負われた子どもは背中で燃えていました」
二瓶治代さん(86)は、そう話す。
一夜にして10万人以上の命が奪われた1945年3月10日の東京大空襲。二瓶さんは当時8歳。小学校2年で、東京都江東区の亀戸駅近くに、家族5人で暮らしていた。空襲前日、夕方まで近所の仲良したちと遊び、「また明日、遊ぼうね」と約束して別れた。だが、その「明日」は来なかった。
■今は戦前と似ている
その日未明、米軍の爆撃機B29が投下した焼夷(しょうい)弾によって、街は一面炎の海と化した。二瓶さんは家族とはぐれ、炎から逃げ惑い、人垣の下敷きになったことで奇跡的に生き残った。
家族も全員無事だったが、生きたいと願った大勢の人がいた。その事実を埋もれさせてはいけない、二度と戦争を起こしてはいけない。その思いから「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)で、自身の体験を継承する活動を続ける。
長い歳月が流れたが、二瓶さんの心の中では死んだ人は生きている。そしてふとした瞬間、あの頃が蘇る。日本は戦争に負けていたが「勝っている」と教えられ、「『神の国』だから空襲があっても神風が吹いて敵機を追い払ってくれる」と教えられた。今の日本も、事実を隠したり、防衛費を増額したりしようとして、戦前と似ているという。
「日本はまた同じ道をたどろうとしていると思います。戦争の足音が聞こえます」(二瓶さん)
今年の5月12日に発売された米誌「タイム」(5月22、29日号)。表紙を飾ったのは、上目遣いの岸田文雄首相だった。タイムは「日本の選択」と題し、こう紹介した。
「岸田総理大臣は長年続いた平和主義を捨て去り、日本を軍事大国に変えようとしている」