史上初の全八冠制覇が期待される藤井聡太。史上最年少での名人位獲得がかかった七番勝負では、3戦目にして初の黒星を喫した(写真/朝日新聞社)
史上初の全八冠制覇が期待される藤井聡太。史上最年少での名人位獲得がかかった七番勝負では、3戦目にして初の黒星を喫した(写真/朝日新聞社)

 史上最年少の名人位獲得をかけて藤井聡太六冠が渡辺明名人に挑戦している名人戦第3局は藤井六冠が敗れ、2勝1敗となった。今後の勝敗の行方はどうなるのか。AERA 2023年5月29日号の記事を紹介する。

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 渡辺明名人(39)に藤井聡太六冠(20)が挑戦する第81期将棋名人戦七番勝負。第3局は5月13、14日、大阪府高槻市でおこなわれ、87手で渡辺が勝った。

「ここまで結果が出てなかったので、とりあえずよかったかなというところですかね」

 終局後、渡辺はそう安堵の表情を浮かべた。渡辺にとっては名人戦4連勝、藤井にとっては史上最年少での名人位獲得、および七冠制覇がかかるシリーズ。藤井2連勝のあと、渡辺が1勝を返し、七番勝負はいよいよ佳境に入ってきた。

■「盤上この一手」の攻防手

 第3局、渡辺はわずかに有利な先手番を持って臨んだ。ここを落とすことになれば、一気にカド番に追い込まれる。渡辺が序盤で角を交換する順を誘ったのに対し、藤井は珍しく応じない方針を選んだ。

「序盤はお互いどういう形に組むか、手が広いかなと思っていたので。どういう感じになるかわからないまま指していました」(藤井)

 渡辺は「矢倉」、藤井は「雁木(がんぎ)」と呼ばれる陣形に組む。本格的な戦いが始まったのは、2日目に入ってからだった。藤井は飛車を縦横に大きく使って攻めこんでいく。形勢は藤井がリードを奪ったかに見えた。

 終盤、藤井は角を切って、一気に渡辺玉に迫っていく。

「やりすぎでした?」

 局後の検討で藤井はそう苦笑した。もしかしたら、もっとゆっくり指す順が勝ったかもしれない。渡辺は的確に対応する。銀をタダで取らせる妙手順を織り交ぜながら体を入れ替え、一気に藤井陣に殺到した。

 76手目。藤井は桂を取る。おそろしい狙いを秘めた攻防の一手で、もし渡辺が誤れば、たちまち形勢は入れ替わる。この時点で持ち時間9時間のうち、残りは渡辺2時間16分、藤井28分。渡辺は手を止め、長考に沈んだ。

「いやちょっと、踏ん切りがつかなかっただけで。やっぱりちょっと、なかなか行く決断ができなかったですね」

 局後、渡辺はそう苦笑していた。見る側には、名人位の重みを感じさせる長い時間だった。渡辺は何度も念を入れて読み抜いた。考えること1時間33分。渡辺が藤井陣に打ち込んだ角は、「盤上この一手」と言うべき絶妙の攻防手だった。

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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