コロナ禍で寺院消滅のスピードが加速し、死との向き合い方も変わってきた。ウクライナでの戦争で世界が分断する──。そんな時代だからこそ、宗教の役割が増してきたという。それは一体、何か。AERA 2023年2月20日号の記事を紹介する。
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昨年7月、歴史ある寺が取り壊された。愛知県北部の江南市(こうなんし)にある「久昌寺(きゅうしょうじ)」。戦国武将・織田信長の側室にして「最愛の女性」であったと伝わる「生駒(いこま)の方」が眠る名刹だ。1384年の創建で、曹洞宗の大本山「総持寺」の直末(じきまつ)の由緒ある禅寺でもあった。
生駒家19代当主の生駒英夫さん(49)によると、生駒の方は地元の有力者だった生駒家4代当主の妹で、屋敷で暮らしていた時に信長と出会い、側室となった。信長との間に信忠、信雄、徳姫(とくひめ)の3人の子をもうけたとされる。
戦後、久昌寺は宗教法人化される。だが近隣に末寺が多く、末寺に配慮し積極的に檀家を集めなかった。久昌寺のような直末寺は、高僧でないと住職になれず約60年前から専従の住職もいなかった。10軒ほどの檀家が維持管理を続けてきたという。
「このまま荒廃して、大地震などで倒壊し周りに迷惑をかけるより、取り壊して廃寺にすることにしました」
生駒さんが代を継いだ2012年には、大正時代に建てられた本堂は傾き雨漏りもひどく、耐震化の問題も浮上した。保存するには億単位の費用がかかる。企業や他の宗教法人などに寺の運営の打診をしたが、引き取り手は見つからなかったという。
昨年5月、寺の解体が始まった。すると直後に、本堂と庫裏に天正年間(1573~92年)のものと見られる古材が見つかった。市は急きょ、生駒さんが代表理事を務める一般社団法人「生駒屋敷歴史文庫」に工事の中断を要請。調査した専門家は市に「本堂だけでも保存すべきだ」と訴えたが、市は維持管理することは財政面から困難だと判断。本格的な調査が行われないまま、地元の住民や歴史ファンに惜しまれながら、約640年の歴史に幕を下ろした。
寺があった場所はいま更地になっている。跡地は市が買い取り、公園になる予定だ。生駒さんは言う。
「歴史があり、多くの人に愛されたお寺だったので何とか残したい思いはありました。本音を言えば、非常に残念です」
寺が消える──。コロナ禍で、地域のよりどころであった寺が、各地で存続の危機にある。