羽生善治挑戦者(左)、藤井聡太王将にとって、局後の検討は真理探究の場。どちらも感情的になる場面はなく、なごやかなうちに進んでいく(写真:代表撮影)
羽生善治挑戦者(左)、藤井聡太王将にとって、局後の検討は真理探究の場。どちらも感情的になる場面はなく、なごやかなうちに進んでいく(写真:代表撮影)

 藤井聡太王将に羽生善治九段が挑戦する王将戦七番勝負が1月8日に開幕した。歴史的ドリームカードの第1局(静岡県掛川市)は、まず藤井王将が制した。AERA2023年1月23日号の記事を紹介する。

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「一手損角換わりにはロマンがあり、この作戦を第1局に持ってきたのも羽生九段らしいと私は感じました」

 藤井聡太王将(五冠、20)の師匠である杉本昌隆八段(54)はヤフーニュースのコメントでそう語っている。

 後手となった羽生善治九段(52)が採用した作戦は、比較的珍しい「一手損角換わり」だった。

 将棋は統計上、ほんの少しだけ先手が有利なゲームである。トップクラスになるほど、そのわずかな利をいかすのがうまい。藤井は本局の勝利で先手番18連勝中。一方、羽生は19歳のとき、先手番28連勝という記録を打ち立てている。

 そうした前提の上で、後手でさらに手損をしてもなお、作戦として十分に成り立つのが将棋の奥深いところだ。

 1937年。66歳の阪田三吉(のちに贈名人・王将)と、31歳の木村義雄(のちに十四世名人)が対戦した、いわゆる「南禅寺の決戦」は、将棋史上に残る名勝負だ。満天下が注目する大舞台。後手の阪田は2手目、最序盤では不要不急とも見られる、端の歩を突いた。もちろんそれで戦えると見ての作戦ではあろうが、一世一代、後世に語り継がれるパフォーマンスを残したというべきだろう。それに比べると羽生の一手損は、現代的な合理性の延長線上にある。

 振り返ってみれば、南禅寺で阪田が敗れたのは、阪田が老い衰えたからではなく、木村が強すぎたというべきなのだろう。その証拠に阪田はその後、木村以外のトップクラスを相手にして、多くの白星をあげている。

 本局、羽生は序盤で後れをとったわけでもなければ、中終盤ではっきりした悪手を指したわけでもない。藤井が完璧すぎたというべきだろう。

■中段に跳ね出した桂

 本局は終始、見ごたえある高度な応酬が続いた。その中であえて一つだけ印象的なシーンをあげるとすれば、藤井の桂使いだったかもしれない。羽生が藤井陣に迫る攻めの桂を打ったのに対し、藤井は攻め合いで中段に桂を跳ね出した。脱兎(だっと)のごとき勢いのよさで、これが本局の勝着となった。うさぎ年の冒頭を飾るにふさわしい一手ともいえそうだ。

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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