大宮エリーさん(左)と小椋佳さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)
大宮エリーさん(左)と小椋佳さん(撮影/写真映像部・高野楓菜)

 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。8人目のゲスト、シンガー・ソングライターの小椋佳さんとの対談を振り返ります。

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 小椋さんは音楽家なのに、私たちに銀行員時代の話を、目をキラキラさせて長い時間した。それがなんだか印象的だった。とてもいい時間だった。一人の男の一編の物語を読むような。映画のワンシーンのような。

 一貫して小椋さんにあるのは哲学者だっていうこと。どんな仕事をする上でも、自分がどうありたいかを確実にしてから臨まれるようだ。そこに共感するというかしびれる。

「組織内存在として、時代を観察し、周囲の人間を見て、何かを描出するっていうのが、僕の作業なの。銀行に入るときに、そう決めたんだ」

 もっと言葉を待つとこんなふうに言う。

「ある意味ではね、日本人の最大課題は、人間の疎外っていう問題」

 こうくる。人間の疎外、しびれる。

「要するに戦後、第2次大戦が終わって、日本は、経済第一主義の国になったんだよ。で、経済でナンバーワンになっていく。急速に発展するために取られた方策が、人間の組織化、管理化なんだよ。組織的に日本人を使えば、みんな一生懸命で、他国よりも発展する。だから、日本人のあまねくは、何らかの組織に属するようなシステムを日本国中に作っていった。そこで生まれた病根が、人間の疎外というもの」

 そうかもしれない。小椋さんは、誰もが、何らかの組織的な価値構造に身を染め上げられて生きていて、いつのまにか個っていうのを持ってない社会になっていると指摘する。だから、組織にいる意味を、「自分のテーマとして、組織内存在になりつつも、アウトサイダーであり続ける」とおっしゃった。そんな銀行員がいるだろうか。そして共感もした。自分もここまでではないけれど、会社員の頃そんなふうに思っていた。

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