9月30日、ロシアはウクライナ4州を一方的に編入、プーチン大統領はモスクワで調印式を行った(写真:アフロ)
9月30日、ロシアはウクライナ4州を一方的に編入、プーチン大統領はモスクワで調印式を行った(写真:アフロ)

 ロシアによるウクライナ侵攻が転機を迎えている。プーチン大統領は部分動員に踏み切り、ウクライナのドネツク、ルハンシク、ザポリージャ、ヘルソンの4州を強制的に編入した。プーチン氏の次の選択は何か。AERA 2022年10月24日号から。

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 プーチン氏がクリミア編入を宣言した14年3月18日、ロシアは祭りのような高揚感に包まれていた。この日は記念日として多くの国民の胸に刻まれた。

 プーチン氏は18年の大統領選の投票日を、法律を改正してまで3月18日に設定した。自らの偉業を象徴し、国民の愛国心が高揚する日だと考えてのことだろう。

 だが、今回4州の編入を宣言した9月30日は、おそらくロシアの人たちの心に残ることはないだろう。

 10月8日、前日に70歳になったプーチン氏を強烈なプレゼントがお見舞いした。クリミアとロシア本土をつなぐクリミア橋が爆破されたのだ。

 全長18キロ以上のクリミア橋は、プーチン氏による編入宣言の翌年に工事が始まった。18年に道路橋が、19年に鉄道橋が完成。道路橋の開通式でプーチン氏は大型トラックのハンドルを握り、クリミアが名実ともにロシアの一部となったことを誇示した。

 この橋は、クリミアをロシアに結びつける一本の「へその緒」のような存在だ。今年の開戦以降は、ウクライナ南部にロシア軍の人員や物資を運ぶ重要な役割を担っている。

 だが、爆破の衝撃は軍事的な側面だけにとどまらない。プーチン大統領のメンツは丸つぶれとなり、揺るぎないものと思われたクリミアへの実効支配に疑問符がともった。

 ロシアは報復として、ウクライナ全土をミサイルやドローンで攻撃したが、戦況への影響は限定的だろう。

 思えば、ウクライナ侵略は、プーチン氏の思惑とはうらはらに、ロシアの弱さばかりを浮き彫りにした。

 開戦後数日のうちにゼレンスキー大統領を拘束し親ロ政権を樹立するという当初のシナリオは、見通しの甘さと情報収集・分析能力の欠如を物語る。

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駒木明義

駒木明義

2005~08年、13~17年にモスクワ特派員。90年入社。和歌山支局、長野支局、政治部、国際報道部などで勤務。日本では主に外交政策などを取材してきました。 著書「安倍vs.プーチン 日ロ交渉はなぜ行き詰まったのか」(筑摩選書)。共著に「プーチンの実像」(朝日文庫)、「検証 日露首脳交渉」(岩波書店)

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