元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】銭湯の日に配られるゆっポくんタオルを今年もゲット

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 大好きな近所の大衆居酒屋へ行った。

 何カ月ぶりだろう。いろいろあって再開当日とはいかなかったが、はかどらぬ仕事にエイと見切りをつけ、まずは銭湯に身を沈めて「そんな日もある」と自分を慰め、シカタナイネと気持ちを切り替えて、ヨシ万全の態勢だ!

 久々に灯(とも)った赤提灯(ちょうちん)にジーンとしつつ、暖簾(のれん)をくぐる。

「あ、いらっしゃい」

 この「あ」がいいんだよね。この一語に幾千の思いが詰まっている。そしてこちらも万感の思いでうなずく。

 店内の入りは7割程度か。ありえない少なさ。それでも店の人の明るさはちっとも変わらない。頭が下がる。

 カウンターで、いつもの熱燗(あつかん)を注文。肴(さかな)は相変わらずの豊富な短冊に迷いつつ、マカロニサラダと小松菜の山椒和(さんしょうあ)え。結局、いつもの好きなやつだ。

 時節柄、黙々と飲み黙々と食べる。それでもね、やっぱりいいもんです。ニコニコする。周囲を見渡すとやはりみんなニコニコしている。

 ところで、この日気になっていたのがサンマ。サンマだけ短冊が大きい。オススメとある。迷っていたら、隣の人が「僕、サンマ」。先を越された。しばらくしてシュッとしたやつが運ばれてきた。

「しょう油いいですか」と聞かれ、どうぞどうぞと渡したついでにジッと見る。炭火で焼いているのに焦げ跡が上品で、ものすごく美味(おい)しそうだ。

 思わず「いいですね……」と言うと、そうでしょうと自慢され、「じゃあ私もサンマ!」と注文。するとその様子を見ていた向こう隣の客も「僕も!」。思わず3人で顔を見合わせてニコニコする。

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稲垣えみ子

稲垣えみ子

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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