タリバンの首都占拠から一夜明けた8月16日、大勢の住民が国外に逃れようと国際空港に向かった(gettyimages)
タリバンの首都占拠から一夜明けた8月16日、大勢の住民が国外に逃れようと国際空港に向かった(gettyimages)
AERA 2021年8月30日号より
AERA 2021年8月30日号より

 米軍が撤退したアフガニスタンで、タリバンが首都を占拠して20年ぶりに復権した。米国は他国とともにアフガニスタン政府を援助してきたが、民心を掌握できなかった。AERA 2021年8月30日号から。

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 アフガニスタンの面積は日本の約1.7倍、人口は日本の30%だ。タリバンが8月6日に攻勢に出て同国南西部ニムルズ州の州都ザランジを制圧してから足掛け10日の15日には首都カブールに無血入城した。この速度は世界戦史の新記録だろう。第2次世界大戦初期にドイツ軍はフランス攻撃を始めて1カ月と15日でパリを占領。日本軍はマレー半島の英軍を2カ月と7日で降伏させたが、タリバンとは比較にもならない。

 タリバンの戦闘員は4万5千~6万人と推定された。アフガン政府軍は約18万人、国家警察隊は9万9千人とされてタリバンの約5倍だったが、いくつかの都市を除きタリバンに対し真剣に抗戦をしなかった様子だ。

 米、英などが2001年10月7日にアフガニスタン攻撃を始めて以来20年間築きあげたアフガニスタンの軍と体制は「砂上の楼閣」のように一撃で崩壊した。タリバンの兵員は多くなくても支持する民衆が数十万人はいた、との推定もある。

 政府軍、国家警察隊の予算は平均20億ドル(約2200億円)だったが、その全額を米国など「国際社会」が負担してきた。日本は警察官の給与82億円を昨年度支出した。20年間の日本のアフガニスタン政府への援助総額は68億ドル(約7500億円)に達した。教育や公共事業の支援もあるから、すべてが無駄ではないとしても大きな失費になった。このほかに海上自衛隊は米軍艦などに洋上給油を行っていた。

■事実上の外国の傭兵

 アフガン政府軍の兵や警察官は米国などの外国から給料をもらい、装備も米軍の供与、訓練や指揮も米軍などから受けていたから事実上外国の傭兵(ようへい)だった。

 カブールの米大使館は巨大なビルで、現地雇いを含み職員が4千人もいた。駐在国との外交を扱う通常の大使館の館員は多くて数十人だが、4千人もの職員がいたのは財政や治安、教育など政府の行政を指導するためで、米大使館はまるで植民地の総督府、アフガニスタン政府はあやつり人形に近かった。

 アフガン人は古来勇猛で知られ、1839年にインドから侵攻した英軍1万6千人を全滅させた。1979年には隣国イランのイスラム革命が波及し、イスラム・ゲリラが蜂起。社会主義政権が倒れそうになったため、ソ連軍は約11万人で介入したがアフガンゲリラに勝てず、戦死者が1万人以上出て10年後に完全撤退した。

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