——舞台をはじめドラマや映画、そして小説も執筆する宮藤にとって、「大パルコ人」シリーズは「自分と切り離せない何かが出ているもの」なのだという。

宮藤:こういう作品は他にはないですね。僕、もともとロックが基調にあるミュージカルが好きだったんですよ。ザ・フーの「トミー」とか、「ロッキー・ホラー・ショー」とか。妄想みたいなストーリーで、「いったい何を見せられたんだろう?」っていう舞台なんですけど、圧倒的な何かがあるなと。あれをやりたいと思って始めました。でも僕がやると、どうしても高円寺とか下北沢みたいな世界観になっちゃう(笑)。

のん:ふふふ(笑)。

宮藤:そういう意味では、自分が20代の頃にライブハウスとかでやっていた、芝居なのかコントなのかよくわからないものとほとんど同じなんです。

のん:この世界の仲間に入れてもらえてうれしいです。

■自分の中に残っていく

——「あまちゃん」から現在までの8年間、お互いの歩みにはいつも注目してきた。

宮藤:音楽活動もやられて、映画に出て、舞台もやって。他の人にはできない表現を選んでいるような気がして、うらやましいなと思って見ていました。自由っていうのとは違うのかもしれないけど。

のん:いえ、そのとおりだと思います。自由にやっていました。

宮藤:あと、この先どういうふうになっていくのか全然わからないところも面白いなと思って。今いくつですか?

のん:28です。大人です!

宮藤:「あまちゃん」の時は?

のん:19から20でした。あの頃、(岩手県)久慈で撮影しながら、きっと自分の中にずっと残っていく作品になるなって思っていました。

宮藤:僕は撮影に立ち会っていないので、久慈にはこれまで2回しか行っていない。最初に行った時は本当に何もなくて、人も全然いなくて、プレハブで3人の海女さんに取材して帰ったんです。で、制作の方から「宮藤さん、これ本当にドラマになりますかね?」って心配されたんですけど、「じぇじぇじぇ」っていうフレーズが耳に残っていたから、たぶんなんとかなるだろうと思って書きました。その後、「あまちゃん」が放送されて、家族旅行で行ってみたら、そのプレハブがあった場所に「じぇじぇじぇ発祥の地」という記念碑が立っていて(笑)。

のん:ふふふ(笑)。

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