サッカースタジアムの建設予定地に見つかった中国軍管区輜重兵補充隊の施設跡(下)。保存について議論されている
サッカースタジアムの建設予定地に見つかった中国軍管区輜重兵補充隊の施設跡(下)。保存について議論されている
広島市が中心となって計画するサッカースタジアム。サンフレッチェ広島が本拠地を構える予定で、2024年の開業を目指している (c)朝日新聞社
広島市が中心となって計画するサッカースタジアム。サンフレッチェ広島が本拠地を構える予定で、2024年の開業を目指している (c)朝日新聞社

 原爆が投下された広島市には、いまも多くの被爆遺構が残る。平和都市としての面だけでなく、軍事都市としての顔もあらわにする。戦争の記憶をどう後世に伝えるか。市民の努力が続く。AERA 2021年8月9日号の記事を紹介する。

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「馬は三百円、お前等は一銭五厘で幟(のぼり)をたててやって来る!」

 原爆ドームの前を流れる元安川から、本流の本川(旧太田川)に沿って500メートルほど上流。広島市中央公園の一角に、「馬碑」と文字が刻まれた石碑が立っている。かたわらの説明板によると、「輜重(しちょう)兵第五連隊の兵営西南太田川沿いに昭和三年に建立」とある。冒頭の文章は、入隊間もない初年兵についての説明で、次のようにつづいていた。

「古年兵に叱られ乍(なが)ら鍛えられ、然(しか)も、馬が先輩であり……」

 自動車が発達していない時代、物の運搬は主として馬が担っていた。軍馬は、貴重な「活兵器」として大事にされ、初年兵より「格上」だった。

 馬碑から少し離れた同じ公園内で、今年6月、過去最大級の被爆遺構が見つかっていたことがわかった。旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重兵補充隊(輜重隊)」の施設跡だ。馬や自動車で、武器弾薬や食料の運搬・補給を担い、隊員はここから戦地へ赴いた。

 遺構は旧日本軍の陸軍第5師団が置かれた広島城の西隣にある。1万4千平方メートルのうち6千平方メートルを発掘し、厩舎(きゅうしゃ)の基礎部分や馬の水飲み場、兵舎などを確認した。爆心地から1キロの距離にあり、400人以上が亡くなったとされるが、市の担当者は「いまのところ人骨は見つかっていない」と話す。この場所は戦後すぐに簡易住宅が建てられ、その後、公園として整備された。その過程で遺構は埋もれ、忘れられてしまった。

■市民に忘れられた遺構 保存に向けて動き出す

「だから、あそこに遺構があるのを想像していませんでした。ガン!と頭をたたかれた感じでした」

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