Mohamed Omer Abdin/1978年、スーダン生まれ。エッセイスト、特定非営利活動法人スーダン障害者教育支援の会代表理事。参天製薬に勤務する傍ら、東洋大学国際共生社会研究センター客員研究員として研究を続ける。著書に『わが盲想』(撮影/写真部・張溢文)
Mohamed Omer Abdin/1978年、スーダン生まれ。エッセイスト、特定非営利活動法人スーダン障害者教育支援の会代表理事。参天製薬に勤務する傍ら、東洋大学国際共生社会研究センター客員研究員として研究を続ける。著書に『わが盲想』(撮影/写真部・張溢文)

 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

 盲目の著者、モハメド・オマル・アブディンさんがいかに日本語と出合い、日本語で本を書くまでに至ったかの奮闘を、ユーモアを交えて語った『日本語とにらめっこ 見えないぼくの学習奮闘記』。耳で聴くことの意義、漢字の効用、カタカナの難しさ、耳で読む読書──など、意外な日本語の特徴や面白さを教えてくれる一冊だ。彼を支えた人々へのインタビューも読み応えがあり、巻末には本書に登場した本のリストも収録している。本書の聞き手、構成は日本語教育を研究する河路由佳さんだ。

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 網膜色素変性症という目の病気で視力を失ったモハメド・オマル・アブディンさん(43)は、スーダンの首都ハルツームで生まれ育った。1998年に19歳で来日してから、本格的に日本語を学び始めた。

「子どもの頃は弱視でしたが、大きな活字ならばわかったので、小学校低学年までは自分で本を読むことができました。その後、だんだん読めなくなったんです」

 その時の経験を「文字が、少しずつぼくの目の前から消えていった」と、アブディンさんは語る。地元の学校に通ったので点字の存在も知らない。教科書を友だちに読み上げてもらい、集中して内容を覚えながら、名門ハルツーム大学法学部に進学。だが当時(1990年代末)、スーダンの政情は不安定で大学も閉鎖されてしまう。

 そんなとき日本の国際視覚障害者援護協会の留学生募集を知り、応募。見事、選ばれて来日し、本格的な日本語との「にらめっこ」が始まった。日本語の点字も覚え盲学校へ進学、鍼灸の資格のための勉強もし、人体解剖の実習までおこなった。専門性の高い勉強を可能にしたのはアブディンさんの努力だが、同時に彼を支えた人たちがいたことも、本書では語られる。

「子どもの頃から母親や友だち、日本でもいろいろな人がサポートしてくれました。サポートをしてもらうためには何が必要か、理解してもらわないといけません。障害者にとって何が必要なのか、伝えるための努力も大切です」

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