「ゼッタイ君と別々の生活はおくらない」夫が最期の手紙に綴った愛 8年間待ち続けた妻の“長い一人旅” (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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「ゼッタイ君と別々の生活はおくらない」夫が最期の手紙に綴った愛 8年間待ち続けた妻の“長い一人旅”

渡辺豪AERA
プノンペン特派員時代の石山幸基さん。共同通信の記者としてカンボジアの民衆に寄り添う取材を続けた(写真:石山陽子さん提供)

プノンペン特派員時代の石山幸基さん。共同通信の記者としてカンボジアの民衆に寄り添う取材を続けた(写真:石山陽子さん提供)

長女の誕生を機に一時帰国した石山幸基さん。カンボジアに戻ったあと帰らぬ人となり、これが唯一の家族写真となった(写真:石山陽子さん提供)

長女の誕生を機に一時帰国した石山幸基さん。カンボジアに戻ったあと帰らぬ人となり、これが唯一の家族写真となった(写真:石山陽子さん提供)

 不確かな人生。取り返せぬ瞬間の積み重ねに導かれ、私たちは生きている。そんな現実にあらためて気づかされる一冊に出合った。同書を取り上げた、AERA 2021年6月28日号の記事を紹介する。

【写真】長女の誕生を機に一時帰国した石山幸基さん

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 主人公はジャーナリストの石山幸基さん。1970年代、共同通信の記者として内戦状態のカンボジアに入り、消息を絶った。横浜市在住の妻陽子さん(75)が3月、彼の生き様や自身のその後の人生を綴(つづ)った本を自費出版した。

 2人が出会ったのは大学紛争が燃えさかっていたころ。京都大学の総長秘書室で働いていた陽子さんには、火炎瓶が飛び交うなか、学生が築いたバリケードの向こう側で取材する幸基さんの姿が焼き付いている。

■戦火に飛び込む夫

 著書『そして待つことが始まった 京都 横浜 カンボジア』(養徳社)では、幸基さんの取材スタンスをこう記した。

「彼は、(中略)いつも反体制の側から物事を見ようとしていた。おそらく不条理なコトに対して我慢できなかったということだと思う。こういう彼の姿勢は以後、どんな時でもずっと変わることがなかった」

 結婚して2年余りが過ぎた72年。夫がいつになく真剣な顔で「プノンペン支局に単身赴任したい」と切り出した。ベトナムからカンボジアへと戦火が広がりつつあった。1歳になる息子と、2人目の子の命も宿していた。陽子さんは「一瞬躊躇(ちゅうちょ)」したが「すぐにうなずいた」。1年くらい別々になっても、私たちには未来があると考えていた。

 初の海外勤務から1年。離任が迫った73年10月6日付の手紙には、幸基さんの仕事と家族に対する率直な思いが綴られている。「もう、ゼッタイ君と別々の生活はおくらないでしょう。どんなに危険なことに将来直面しようとも、あるいは職業上直面せざるをえないことになろうとも、オレは君といっしょにそうしたい、とおもいます。君とオレとは運命共同体だ、と」

 これが最後の手紙になった。その後、幸基さんはポル・ポト派の支配地域に潜入取材し、行方不明になる。陽子さんにとっては、ほぼ8年間にわたる「夫を待つ日々」の始まりだった。


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