赤ちゃんと死のうか…18歳、予期せぬ妊娠に「まぢ、終わった」 1本の電話が人生の分岐点に (1/4) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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赤ちゃんと死のうか…18歳、予期せぬ妊娠に「まぢ、終わった」 1本の電話が人生の分岐点に

三宅玲子AERA
慈恵病院は熊本駅から車で10分ほど、熊本市西部の山の麓に位置する。明治後期にフランス人宣教師が始めたハンセン病患者救済事業をルーツに持つ (c)朝日新聞社

慈恵病院は熊本駅から車で10分ほど、熊本市西部の山の麓に位置する。明治後期にフランス人宣教師が始めたハンセン病患者救済事業をルーツに持つ (c)朝日新聞社

久保田智子さん。特別養子縁組で家族になることは幸せだと身をもって体験し、広く知ってほしいと願っている。それは娘のためにもなると考えている(撮影/片山菜緒子)

久保田智子さん。特別養子縁組で家族になることは幸せだと身をもって体験し、広く知ってほしいと願っている。それは娘のためにもなると考えている(撮影/片山菜緒子)

 複雑な事情を抱えて人知れず出産する女性たちがいる。赤ちゃんの殺害・遺棄事件につながることもある。そんな女性たちを助けたい。さまざまな動きが起きている。AERA 2021年6月28日号で取材した。

【写真】特別養子縁組により赤ちゃんを迎えた久保田智子さん

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 1本の電話が人生の分岐点となることもある。

 2月のある夜、その人は分岐点に立っていた。まもなく18歳になる彼女は“いちごが好きだから、いちごちゃん”と名乗った。

 いちごちゃんは妊娠していた。生理不順だったため、気づいたときには既に中絶できる週数を過ぎていた。

 幼い頃、母は夜働いていて家におらず寂しかったが、ママが好きだった。母の恋人が住みつき、母への暴力や性交を見せられた。小5のときにできた継父はいちごちゃんを虐待した。弟と妹は可愛がられるのにひとり家族からのけものにされ、中学を出ると歓楽街でキャッチなどの仕事で生き延びた。

 妊娠の相手はわからなかった。受診したクリニックでは32週までは診るけれど、それ以降は大きな病院に行って産んでほしいと言われた。「まぢ、終わった」と思ったのだと、いちごちゃんは2度つぶやいた。

■18年間生きてきて初めて他人に頼ろうと思った

 今死ぬか、ひとりで産んで赤ちゃんと一緒に死ぬか。3週間、悩んだ。線路に飛び込もうと思ったができなかった。ひとりで産むのも怖かった。

 もう中絶できない時期にあること、誰にも知られずに産まなくてはならないことを、その電話に出た女性に伝え、「助けてください」と言った。

「18年間生きてきて初めて他人に頼ろうと思った」

 いちごちゃんはこう振り返った。

 勇気を振り絞って電話をしたその夜を境に、自殺さえ考えていたいちごちゃんの人生のベクトルは逆方向へと動き出す。3カ月が経った今、いちごちゃんは関東のある町で赤ちゃんとの新しい人生を始めている。

 電話でつながったのは熊本市の慈恵病院だった。「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を運用する民間病院だ。予期せぬ妊娠をした女性が自分で育てられない赤ちゃんを匿名で預け入れることができる。2020年3月までに155人の赤ちゃんが預け入れられた。

 近くの病院を紹介するとの提案をいちごちゃんは拒んだ。何度か電話でやり取りをしたが、いちごちゃんは精神的に不安定で、このまま孤立出産になることを病院は心配した。

 ゆりかごに預け入れる母親の多くが自宅のトイレや浴室で一人で出産していた。命の危険はもちろん、赤ちゃんの殺害・遺棄事件に至ることもある。


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