また、ガーナにある世界最大の電子部品廃棄場から拾ったゴミでアート作品を創り、売り上げを現地に還元しながら地球環境保全活動をしている芸術家の長坂真護(まご)(36)は、嵜本の穏やかな人柄に癒やされていると笑う。

「若手経営者の集まりか何かで会ったのですが、自己主張が強いグループの中でひたすら人の話に耳を傾けている姿が、かえって目立っていました。つい最近まで、元Jリーガーだったことも知らなかった。晋輔さんのことを自分が一番の友だちと考えている人を、僕は10人ぐらい知っています」

 謙虚な姿勢と危機意識はガンバをクビになったことで、常に意識するようになった。

 1982年、大阪府で3兄弟の末っ子として生まれた。小学4年からサッカーを始め、中学・高校と全国大会に出場。ドリブルが上手く常にチームの中心選手だったが、背番号はエースの10番ではなく11番。父・政司(75)が笑いながら言う。

「10番をつけたい選手がいるとすぐに譲ってしまう。ガンバ時代は自分でシュートできるチャンスがあるのにパスを出す。サッカー選手としては大成しなかったけど、人を生かす性格は今、経営に役立っているんじゃないでしょうか」

 嵜本は今考えれば、3年でクビになっても当然の選手だったと語る。試合に出られなければ、監督の起用の方法がおかしいとか、あの選手より僕の方が上手いのにと、自分の実力のなさを他人のせいにしてばかりいた。ファンサービスも自主練習もあまりしないで遊びに行っていた。他責の塊だったと反省する。翌年、日本フットボールリーグ(JFL)の佐川急便に所属したが、自分の実力に見切りをつけ、ピッチを去る決意をした。

 引退してすぐ、父が大阪で経営していた従業員20人ほどのリサイクルショップに入社。長兄・将光(41)、次兄・晃次(40)も高校卒業と同時に家業を手伝っていた。

(文・吉井妙子)

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