京都市内の宿泊客数を調査した「京都市観光協会データ年報」(20年版)を見ると、市内の主要ホテルにおける昨年の延べ宿泊客数は前年比61.2%のマイナスとなっている。

 もっとも、これはまだコロナ禍の影響がほとんどなかった1~2月、そしてGo To キャンペーンの効果で一時的に前年同月を上回る宿泊需要を取り戻した11月のデータを織り込んだ数字だ。

 今年は年頭から新型コロナの第3波、第4波に襲われている。少なくとも現時点では、昨年よりもさらに厳しい状況となっているのはほぼ間違いない。

■衝撃だった立石氏の死

 花街もまた、コロナ禍の直撃を受けた。

 地元財界を代表して京都の花街を支援し続けた電気機器メーカー・オムロンの名誉顧問、立石義雄氏が昨年4月21日、新型コロナ感染により急死(享年80)したことは、関係者に大きな衝撃をもたらした。

 立石氏は京都に五つある花街(祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東)を支援する京都伝統伎芸(ぎげい)振興財団(通称・おおきに財団)の理事長だった。コロナ禍で苦しむ花街に独自の助成金給付を検討していたところ、自らが感染した。後任の理事長はまだ、選任されていない。

 お茶屋に通う客には政財界の要人も多い。史上初の緊急事態宣言が出された昨年4月以降、経営者の「接待をともなう飲食」はときに批判の対象となり、やがて「ようなったら行くわ」が花街の挨拶(あいさつ)となった。それはいまなお続いている。

■休業しかないお茶屋

「昨年の4月以降、お店はずっとお休みさせていただいております」

 上七軒「中里」の女将(おかみ)、中村泰子さん(84)が苦しい思いを打ち明ける。

「中里」は政財界、文壇の重鎮たちに愛されたお茶屋で、ノーベル賞作家の川端康成や首相を務めた吉田茂らも通った、京都の深奥を感じさせる名店だ。

 泰子さんは18歳のときから、先代の女将である伯母・種子さんの手伝いをするようになり、30年ほど前に女将になった。

「上七軒はお茶屋さんが10軒と少のうございましてね、もともとよそさんと比べると静かなところでございますが、それでもいまのように花街の夜が真っ暗というのは初めてのことで、もうびっくりでございます。お客様をしっかりとお受けすることができず、悔しおす」

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