川栄:殺陣(たて)のアクションは大変だし、せりふの量も多くて、不安すぎて全然ごはんが喉を通らなかったです。自分として「完璧にやりたい」という思いがありました。舞台って、稽古のなかで徐々にせりふとか動きを覚えていくものなんですけど、それがすごい嫌で、「一日でも早くせりふを全部入れたい!」みたいな精神状態でした。あれをどうにか乗り越えられたのは、自分にとって一つ自信になりました。

——翌年、前述の「とと姉ちゃん」への出演を境に、俳優としてのオファーが急増する。

川栄:ありがたいことに、その時期はすごく忙しくて、ワンクールで三つのドラマに出させていただいたりしたんです。私はたくさんの役を同時に演じても全然平気なタイプなんですけど、それでも今考えるとすごいスケジュールだったなと思います。

 とくに印象に残っているのは、「僕たちがやりました」(17年)というドラマに出させていただいた時。放送後に何十万人ってSNSのフォロワーが増えたんです。当時は全然思わなかったんですけど、そこが結構、自分のいい時期だったと思いますね(笑)。CMも10本以上出させてもらったり。あの頃が一番波に乗ってました。

——俳優としての躍進は目覚ましく、18年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭では、ニューウェーブアワードを受賞している。だが、作品や役を選り好みすることなく、「ただ目の前の役を必死に演じてきた」と話す。

川栄:本当に忙しくさせていただいた時期も終わり、もう子どももいるので、たくさんの作品に出たいという欲はあまりないんです。

 だけど、「お芝居をしたい」と言ってアイドルを辞めた以上、役者を長く続けていきたい。主演ドラマをやったり、主演じゃなくても注目される脇役をやって、その後1年ぐらい作品に出なくても、また次もいい役を任せてもらえる人になりたい。「売れている人」になりたいんです。私はまだまだ出続けないとすぐにいなくなっちゃうので(笑)、なるべくずっと作品に出て、みなさんの記憶に残す作業をしているんですけど、その必要がない人が「売れている人」。自分もいつかそうなれたらと思いますし、できれば30代前半で「売れたい」と思っています。

(編集部・藤井直樹)

AERA 2021年1月25日号