だが92年の首里城公園オープンに合わせ、沖縄戦で焼失した首里城内の歴史的建造物を復元していく過程で、最も注目を集めたのが正殿の赤瓦の復元だった。この大役を担った瓦職人の故奥原崇典さんは、島袋さんの父・義一さん(72)の2歳下。近所の同業者として親しい間柄だったという。

「奥原さんの工場の窯の調子が悪いときは、奥原さんが練り上げた瓦をうちの工場の窯で焼くこともありました。私にとって瓦づくりの師匠は父ですが、奥原さんは最もリスペクトする先輩職人です」(同)

 奥原さんは古文書をもとに、名護市の古我知で産出する土で試行錯誤を重ね、独特の艶がある正殿の赤瓦を復元した。しかし、古我知の土は既に枯渇。奥原さんは14年に亡くなり、配合や焼成の記録も残っていない。

 一方、島袋さんの工場も首里城復元に貢献してきた。92年の首里城公園のオープン時に敷地内のレストランの赤瓦を、7年前からは城内の「女官居室」「世誇殿」などの赤瓦を作り、施工も手掛けた。

 島袋さんは半年間かけてクチャと赤土の配合比率や焼成温度を微妙に変えた20種類のサンプルを準備。首里城公園管理センターの職員たちに、最も正殿の瓦に近い色調を選んでもらった。

「このサンプルをつくる過程で、どういう配合にすれば窯の中の温度を上げられるか、どこまで温度を上げれば形状を保ちつつ品質もよくなるか、テストを繰り返しながらつかんだデータがあります。土の性質は地層の深さや採掘場所によっても変わるので手探りになりますが、培ったノウハウを駆使すれば正殿復元も担う自信はあります」

 国は22年度中に正殿の本体工事に着手、26年度内の完成を目指すとしている。必要な赤瓦は正殿だけで5万6千~6万枚、規格検査を通る枚数をそろえるには全体で50万枚の製造が必要と島袋さんらは見込んでいる。

「先人の意志を継いでこの歴史的事業に携わり、後世に恥じない瓦を仕上げたい」

■沖縄の紫外線に耐える

 首里城の火災当日。漆芸家の森田哲也さん(43)はスマホの着信音で目が覚めた。午前4時すぎ。「大変なことになっている」。「親方」と慕う県指定無形文化財保持者(琉球漆器)の諸見由則さん(60)の声はかすかに震えていた。

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