「米国の有権者の本質を理解しないと、アメリカでサービスを展開するニュースメディアとして勝負できないという経営者の覚悟。それに研究者としての底なき好奇心があるからではないか」

 鈴木は経営者だけでなく、複雑系科学や電子貨幣の研究者としての顔を持つ。経営者と研究者。この二つは鈴木を語るうえで外せないキーワードだ。

 子どもの頃からのめり込む性格だった。ファミコンなどのゲーム好きだったが、小4のときに母親から一輪車を与えられると、そちらにも夢中になった。授業を終えて家に帰れば一輪車の練習を始め、自転車に乗る友達を追いかけた。遂には学校に一輪車部を作り、部長を務めた。中学時代に親の転勤でイタリアやドイツに住み始めると今度はサッカーに没頭し、クラブチームでゴールキーパーとして活躍。帰国後に過ごした慶応義塾高校時代もサッカー部に入り、週6日の練習をこなした。

「サッカーとPCゲームが生活の7割を占めた」という鈴木は初め、研究者の道に進もうと思った。高2の物理で学んだニュートンの運動方程式がきっかけだった。天体や地球上の自然現象が予測可能であることを明らかにした方程式だが、鈴木はこれを知って衝撃を受けた。

「ある時間の物体の状態が分かっていると未来の状態が予測できる。つまり未来は決定しているということ。その時は哲学に決定論というものがあることも知らなかったので、そんなすごい理論があるのかと驚き、物理学者になろうと思った」

 慶応義塾大学の物理学科に進んで理論物理を学び、卒論は統計力学を使ったニューロンネットワークについて書いた。普遍理論への憧れから統合する知の体系を作りたいと欲し、神奈川・日吉にある大学の図書館の学術書を「異種格闘技戦みたいに」片っ端から読みふけった。自分が知らないことがあってはならないと考えていた。

 鈴木は「理解できないものに対峙したい気持ちは当時からあった」と振り返るが、学べば学ぶほど知の体系を作ろうとした歴史上の先人たちが挫折していったことを知り、限界を感じるようになる。
(文・桐島瞬)

※記事の続きは「AERA 2020年12月14日号」でご覧いただけます。