元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
古民家改装中の友人宅で大工見習い。空き家を自力改装して暮らせる人になりたくて(本人提供)
古民家改装中の友人宅で大工見習い。空き家を自力改装して暮らせる人になりたくて(本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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*  *  *

 やや前のことになるが、コロナ禍の真っ最中に個人的に非常に大きな決断をした。ご報告の機会を逸していたのだが、我ながらあまりに感慨深い出来事だったので今更ながら書く。

 家を売った。というか、ようやく売れたのである。

 今をさかのぼること約30年前、20代の終わりに一大決心で買ったマンション。何せ当時は独身女が家を買うなどありえないことだった。家とは結婚し身を固めた男が買うもの。つまりは女は結婚すれば家が手に入ると。なので職場では「何があったのか」と散々酒の肴にされた。

 だが私には周到な計算があったのだ。確かにまもなく30なのに結婚の気配もない身を思えば生涯独身も想定すべきであろう。ならば手に入れるべきは家だ。何しろ独居老人には誰も家を貸してくれないと聞く。ならば若いうちに家を買い、家賃を払うつもりでローンを払っておけば安心だ。それによく考えれば男より家に人生を頼る方が合理的である。人は変わる。関係も変わる。でも家は残る。万一結婚となったらその時は売れば良い。我ながら万全である。 

 で、せっせと莫大なローンを返し続けた。確かに「私には家がある」という事実は大きな心の支えとなった。人生を重苦しいものにしているのは家賃。もしタダで住める家があるとなれば人生は信じられないくらい軽やかだ。50歳で会社を辞められたのも、この家の存在が大きな安心材料となったのは間違いない。

 つまりはですね、この家こそは我が人生後半戦を支えるザ・切り札であった。なのに、その家を売ったわけです。

 しかも売却価格はなんと購入価格の約6分の1。笑うくらい大損。っていうか転勤やなんかで実際ほとんど住めてない。全くもって意味不明の買い物である。でもいいの。まもなく訪れる老後ライフでようやく役に立つ時が来たんだから……って時になってまさかの売却。これで私は定職なし、家族なし、家なしの正真正銘の根なし草である。

 一体なぜ私はこんな選択をしたのか?(つづく)

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2020年11月30日号

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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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