早熟の天才ともてはやされたカポーティはゲイであることを公表し、各界のセレブリティーたちとの親交も深かった。いっぽうで毒舌&辛辣な物言いやドラッグ、飲酒の問題を抱え、「一度会えば二度と会いたくない」と言われるほど強烈な人物だったとされている。バーノー氏は本作にとりかかったきっかけを語る。

「アメリカ3大ネットワークのひとつであるCBS放送の創始者の妻でカポーティと仲のよかったベイブ・ペイリーについての本を読んで、そのなかに登場するカポーティに興味を引かれたんだ。これまで彼について語られてきたことは違うんじゃないか、本当のカポーティをみな知らないんじゃないか、と思った」

 ジャーナリストで作家のジョージ・プリンプトンが1997年に執筆した評伝を下敷きに、当時の貴重なテープや過去映像に、新たに取材したカポーティの養女ケイト・ハリントンらのインタビュー映像を加えた。

「改めて一番驚いたことは、カポーティが本気で家族を持ちたいと思っていたことだ。彼は恋人だった人の娘である13歳のケイトを養女にしたんだ。最終的に彼が思い描いていた“家族”が得られたかどうかはわからないけれど、家族に縁がなさそうだった彼がそう思っていたことは衝撃だった」

 カポーティは両親の離婚で親戚をたらい回しにされ、不安定な幼少期を過ごした。再婚した母に連れられてニューヨークに移り19歳で小説を発表。だが、母は彼が30歳のときに48歳で自殺してしまう。

 その後、上流社会のセレブ女性たちと華やかな交流をしていたカポーティだが、彼女たちの私生活を暴露する小説を発表したことで怒りを買い、社交界から締め出されてしまう。晩年はアルコールと薬物中毒に苦しみ84年に59歳で亡くなった。

「彼は非常に複雑な人間だったと思う。一言で言えば『強大なエゴの持ち主』だけれど、それは両親に捨てられ、愛情をもらえない幼少期を過ごした経験が大きい。彼は社会の内側にいたことがなく、常にアウトサイドにいる人だったんだ」

 偏見やコンプレックスを歯牙にかけず、自らを貫こうとする強靱なマインド。マイノリティーやアウトサイダーの側に立って物事を見る大切さ。本作は一人の偉大な作家の人生を通して、政治の世界にも一石を投じ、ある希望を示しているのかもしれない。(フリーランス記者 中村千晶)

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