バーナード・マラマッドによる『レンブラントの帽子』はアメリカ文学史上に残る傑作と言われる。日本では1975年に集英社から刊行されたが絶版となり、古本市場では、山本が客に薦めるのを憚るほど高値がついていた。それを目の前に現れた青年は、経験もツテもなしに復刊し、しかも、面識のない和田誠に思いを綴った手紙を書き、装丁を引き受けてもらったと言う。経営が苦しければコンビニで働いてでも、なんとかして読者に届けたい──。訥々と志を語る島田に、山本は「今どきこんな人がいるのか」と胸を打たれた。

 島田にとって、コンビニというのは例えでもなんでもなく、20代はそうしたアルバイトばかりをこなしてきた。1976年高知県生まれ。ロスジェネと呼ばれる世代のど真ん中だ。大学で文学に目覚め、学内の小説コンクールで一等賞を取ったのを機に純文学の作家を目指した。作家への近道は新聞記者だと考え、就活では地方新聞社を複数受けたが全敗。有効求人倍率が底に張り付き、「即戦力」や「コミュ力」が求められだした頃だ。

 就職を諦め、実家を出る決心をした。この時、島田から渡された一枚の紙を、母の佐津恵(69)はいまも大事に持っている。

「潤が小学生の頃、夫が出て行って、それからはずっと2人で暮らしていました。だから潤に一人暮らしを始めたいと言われた時、ちょっと複雑な思いがあったんです。そしたら、しばらくして『お母さん、これが僕の気持ちだよ』って」

 その少し黄ばんだA4の紙には、谷川俊太郎の「さようなら」という詩が印刷されていた。

「ぼくもういかなきゃなんない/すぐいかなきゃなんない/(中略)よるになったらほしをみる/ひるはいろんなひととはなしをする/そしてきっといちばんすきなものをみつける/みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる/だからとおくにいてもさびしくないよ/ぼくもういかなきゃなんない」

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村上春樹っぽい小説