ぼろアパートで日中は「村上春樹っぽい小説」を書き、尊敬する作家たちの本を読み、夜はコンビニや中古CD店で働いた。翌年も新聞社の試験には受からず、結局27歳まで同じ生活を続けた。

「焦りや、やましい気持ち? それは全くなかったです。夜勤からアパートに戻って、眠い目をこすりながら『罪と罰』なんかを必死に読んでいましたから。怠けているどころか、周りの社会人よりよっぽど頑張ってる、くらいに思っていました」

 5年経っても芽は出ず、3度目の就職活動を始めた。だが一旦レールをはずれた人間に、社会は冷たい。唯一、雇ってくれたのは自費出版の会社だった。顧客対応や営業を担当したが、全員が深夜0時まで働いているような会社で、3年が限界だった。転職先の教科書販売会社では、営業成績は良かったが、本を読むため毎日さっさと帰り、飲み会にも一切出ない島田を、上司はよく思わなかった。1年で辞めた。次の転職先を探し始めた2008年4月のある日、母から電話が入る。

「ケンがもうダメだって」 

「ケン」とは高知にいた島田と半年違いの従兄だ。幼い頃、夏休みはずっと一緒で、高校卒業時には海外旅行にも行った。その従兄が電話から数時間後に息を引き取った。あまりに突然の死。従兄のいなくなったこの世界を、生きていかねばならない。そのことが、恐ろしくてたまらなかった。

 高知での葬儀を終え、東京に戻った。呆然と毎日転職サイトを眺めながら、手当たり次第に応募した。だが来る日も来る日も、届くのは不採用を告げるメールばかり。8カ月でその数は50社に達した。自分は世の中の誰からも必要とされていない──。ある日、実家の団地の8階で昼寝から覚めた時、体がベランダ側に引き寄せられていった。

「部屋がグワーッと斜めに傾くような感じで、自分の意思と関係なく体が動いて──。ハッと我に返って柱につかまりました。昔はベランダでタバコを吸ってたのに、あれ以来、近寄ることができないんですよ」

 人生は一度きり。雇われるのではなく、自分で仕事を作って生きてみようと決めた。とにかく誰かに必要とされたかった。その頃、繰り返し読んでいる詩があった。作者は100年前に生きたイギリスの神学者、ヘンリー・スコット・ホランド。死者が、残された人に語りかけてくる内容だ。その一編の詩を本にして、悲しみに暮れる叔父と叔母を励まそうと考えた。それが夏葉社の始まりだ。社名は従兄と遊んだ夏の光景から取った。

(文・石臥薫子)                                                 

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