元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
仕事で超久々の新幹線。一席おきで、ほぼいっぱいでした。少しずつ日常が戻ってきた(写真:本人提供)
仕事で超久々の新幹線。一席おきで、ほぼいっぱいでした。少しずつ日常が戻ってきた(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】仕事で超久々の新幹線。一席おきで、ほぼいっぱい

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 報道によれば、日本女性の4人に1人は70歳以上とか。やっぱりね。だって今や私の知り合いといえばほぼご近所さんだが、メーンは圧倒的に70以上の女性。自分も年だからかと思っていたんだが、そもそも人口が多かったのだ。

 にしても、やはり我が人脈の高齢化は甚だしいように思う。何しろ会社員時代は高齢の友人などほぼゼロ。それがなぜこうなったかというと、会社を辞めた直後に母を亡くしたことが大きく影響している。晩年、認知症を得て自信をなくし、悲しそうな顔をしていた母。そんな母をちゃんと受け入れられずジタバタしているうちに母は旅立ってしまった。

 それからというもの、やたらとお年寄りの姿が目についた。目が合えば思い切ってコンニチハと挨拶するようにもなった。もし母にも、こんなふうに挨拶しあえる近所の人がいたらきっと嬉しかったんじゃないかと思ったのだ。そうこうするうちにどんどん知り合いが増えた。多少なりとも誰かの支えになればいいなと思った。

 ところが事態は思いもよらぬ方向へ。

 何もかもが思うようにいかない時、ベンチで日向ぼこをしている馴染みのオバアに挨拶すると、満面の笑みと挨拶が返ってくる。で、ふと気づけば私の背筋は少し伸びている。胸を張っている。オバアを元気づけたつもりが自分が元気になっているのだ。そうか。オバアは私に、こんな私にもちゃんとできることがあると思わせてくれているのだ。

 次第に、人を助けるってことがよくわからなくなってきた。助けるほうが助けられている。助けられるほうが助けている。どっちがどっちだかわからない。

 で、これを「共助」というのではと思ったので書いてみた。菅総理はじめ、皆さん、かつての私と同じで案外やったことないんじゃないかと思って。助けられることが得で、助けるのは損と思ってるんじゃないかと思って。そうじゃないんだよ。人を助けることは人生に必須のエネルギー源なんだと思う。

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2020年10月5日号

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稲垣えみ子

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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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