高氏も「父の誕生日(2月16日)直前に殺害し、北朝鮮に君臨するのがだれかを世界に示した『公開処刑』といえる。国外での暗殺には、銃よりも薬物による毒殺のほうが持ち込みが容易だったという事情もあるだろう」とみる。北朝鮮のテレビで放送される勇ましい歌「朝鮮は決心すればやる」を引き合いに「工作員による国外テロ活動はここ数十年控えていたが『我々はやるときはやるんだ』と決意をアピールした」とも語る。

 2人は、手につけられたVXを犯行後に洗い流すタイミングが遅れたり、目や口などから体内に入ったりすれば、自分たちの命にも危険があった。口封じで殺される可能性もあったかもしれない。そうならなかった理由について高氏は「日本人拉致問題で日本の世論が怒るのを見て、北朝鮮は人権問題の重大性を学んだ。指導者の兄ですら無慈悲に殺す北朝鮮だが、他国人を手にかけると人権上の国際問題になりかねないことを懸念したのだろう」とみる。

 暗殺事件があった2017年、北朝鮮は核実験やミサイル発射を繰り返し、国際的緊張が高まった。しかし翌18年、金正恩氏は文在寅(ムンジェイン)韓国大統領との南北首脳会談やトランプ米大統領との史上初の米朝首脳会談に臨むなど、対話の姿勢に転じた。

「偉大な祖父にもできなかった首脳会談を実現させたことが、正恩氏の強い自信になったはず。大統領選でもトランプ氏の再選を願っていることだろう。バイデン氏が大統領になったら、パイプは途絶えてしまうのではないか」と高氏。

 映画については「北朝鮮がいまだに工作活動をしている国家であることを知るいいきっかけになる」と話している。(朝日新聞編集委員・北野隆一)

AERA 2020年10月5日号より抜粋