9月11日、54歳の誕生日を迎えた秋篠宮妃紀子さま。これに先立ち、宮内記者会に文書で回答を寄せられた(写真:宮内庁提供)
9月11日、54歳の誕生日を迎えた秋篠宮妃紀子さま。これに先立ち、宮内記者会に文書で回答を寄せられた(写真:宮内庁提供)

 皇嗣妃となって2年目を迎え、誕生日にあたり記者会の質問に答えた文書に、秋篠宮紀子さまの変化が見て取れた。文字数は昨年の倍以上。ご自身の言葉で率直に思いや行動を語る姿に、強い意志を感じずにはいられない。AERA 2020年10月5日号から。

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 唐突で恐縮だが、鎌倉芳太郎(よしたろう)という人を紹介する。

 1898(明治31)年、香川県生まれ。東京美術学校卒業後、沖縄県女子師範学校に美術教師として赴任。沖縄文化に魅了され、1924(大正13)年から1年間、東京帝国大学教授と共同で沖縄を調査、文化財や建築物、工芸品などを写真撮影した。後に紅型(びんがた)の染色家になり、73(昭和48)年、人間国宝に認定される。83年没。

 文化庁の文化遺産データベースによれば、鎌倉氏が沖縄で撮った写真は「それ自体十分高い芸術性と資料性とを併せもった作品」で、首里城も含まれていた。戦火で焼失した首里城を92(平成4)年に復元した時の設計図面は、それが基になった。

 以上は全て、ごく最近仕入れた知識だ。正確には9月11日、秋篠宮妃紀子さまの54歳の誕生日。この日、記者会の質問に答えた文書が発表され、そこに鎌倉氏の名前があったのだ。

 1年間を振り返っての感想を求められ、紀子さまはまず、「即位礼正殿の儀」など一連の皇室行事を振り返り、次にラグビーW杯、そして昨年12月に訪問した沖縄を取り上げた。10月31日に首里城が焼失してから1カ月余りの訪問で、沖縄県立芸術大学から首里城方面を静かに望んだとした後、こう続けた。

「歴史的な建造物の修復と再建、貴重な美術工芸品の収集、復元や保存にむけて、今も励ましや支援が寄せられています。私もこうした取り組みに共感しつつ、沖縄文化研究者で紅型の染色家でもあり、首里城の再建に貢献した鎌倉芳太郎氏についての本や資料を再び読み返しました」

 この一文に、すごく驚いた。訪問したという事実だけでなく、具体的な人物名をあげ、そこから自分のとった行動を明かしていたからだ。そして、こう思った。それはつまり、紀子さまの「実力」と「自信」の表れだ、と。

 おおげさだと感じる方もいるかもしれない。そんな方のために、昨年の誕生日の文書を紹介する。

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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