作中では、経営難の美術専門出版社「仙波工藝社」をめぐる買収計画が描かれる。創業100年近い老舗とはいえ2億円の借り入れがままならない赤字出版社に、破格の買収価格を提示する買い手企業が現れるのだ。

「持っている情報量が違うために、当事者によって妥当な価格が変わってくるわけです。持っている情報によってモノの価値が変わって見えるともいえます。企業の株価が典型ですよね。会社の中で何が起きているか、外からはうかがい知れません。記者会見や報道発表文で会社から情報が出てきて初めて、何が起きていたかを知るわけです。もしも発表より先に知っていれば、事前に売り買いする人が出てきますよね」

 情報が多くあり、実は有望であると判断されたら高くなる。何の情報も得られずどこがいいかわからなければ安いまま。確かに株価と通じるものがある。

 作中では、未到の山林を舞台にした小話も出てくる。

「ある企業に持ち込まれた実話をもとに組み立ててみました。情報がモノの価値を左右し、だましだまされる。そんなことが日常生活のいろいろな場面で実際に起こっています」

 意外にも池井戸さんは多くの取材をしない。想像力をフル稼働させる。

「今回は本の後ろに、執筆に協力してくれた3人の名前を載せました。このうち2人は友人です(日仏通訳・翻訳家の友重山桃《ともしげゆら》さん、アドバンストアイ株式会社の岡本行生さん)。初めてお会いして取材したのは、東京国立近代美術館主任研究員の保坂健二朗さんだけ。作品はリアルに読んでもらえると思いますが、実際には現実と少し違う部分もあるでしょう」

 池井戸さんは元銀行員だが、銀行の現場を100%忠実に再現しているわけではない。創作した部分も当然ある。内情をよく知っているからこそ銀行を旧態依然とした敵のように扱うのだろうか……と勝手に想像していたが、違った。

「よく誤解されるんですが、銀行に対して特別な感情をもって書いているわけではありません。好きだから良く書くわけでも、嫌いだから悪く書くわけでもありません。エンターテインメント作品ですから」

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