ペスト大流行の3回目となる19~20世紀の東アジアでの流行は、このコラム「北里柴三郎」の時に述べたので省略する。

■長期戦なら日本にペストも

 興味深いことに14世紀の日本は南北朝の戦乱期ではあったが、疫病で人々が大量死したという記録はない。日本には持ち込まれなかったと考えるのが自然であろう。

 ペストの流行に先立ち、元は1274年(文永の役)、1281年(弘安の役)と2回の日本征服を試みるが、おそらく威力偵察だった文永の役は補給が続かず、高麗と宋の水軍を主体とした弘安の役は石垣を築いた鎌倉武士の奮戦と神風による暴風で一夜にして大海軍は全滅してしまった。元軍が九州の一部を占領するなり、橋頭保(きょうとうほ)を築くなりして戦が長引けばペストが入り込んだかもしれず、まさにこれは天祐以外の何物でもない。

 台風で船が沈むかというと、古くは、紀元前494年にペルシア帝国の艦隊がギリシアに侵攻したとき、トラキアを越えてくる北風ボレアースがことごとくこれを打ち沈めたという記録がある。近現代になっても、台風による民間船の海難事故は数多いが、気象レーダーが未発達だった20世紀半ばでも、台風は軍艦に大損害を与えた。1944年12月のコブラ台風はフィリピン沖でアメリカ太平洋艦隊を直撃し、3隻の駆逐艦を沈め、10隻の航空母艦に大小の損傷を与えた(全て中小の護衛空母ではあったが)。

■13世紀のロックダウン

 古くは百済と連合して唐の大軍に惨敗した「白村江の戦い」から秀吉の朝鮮征伐と、わが国が軍事的に大陸や朝鮮半島に手を出すとよいことはない。日清日露の役はともかく、その後のシベリア出兵から満州事変、太平洋戦争まで行かなくてよいところに兵を出して最終的には負けることになる。

 ただ、元寇だけは、日本は完全な被侵略者である。一時的にも元の支配を受けていたとするならば、多くの元人(とネズミ)の渡来によりペストの国内発生は避けられなかっただろう。神風が期せずして、13世紀のロックダウンをしてくれたことになる。

◯早川 智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など

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早川智

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早川智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に戦国武将を診る(朝日新聞出版)など

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