こんな感情を抱えて迎えた昨年12月の全日本選手権。羽生らしくないミスを連発し、宇野昌磨(22)に敗れた。すっきりしないままカナダで年を越した。

 新年早々、異例の決断に踏み切る。シーズン途中でのプログラム変更だ。少年時代から憧れたトリノ五輪金メダリストのエフゲニー・プルシェンコや元全米王者ジョニー・ウィアーのプログラムを採用した、ショート「秋によせて」、フリー「Origin(オリジン)」を2シーズン続けて滑ってきた。しかし、それらをやめ、平昌五輪で金メダルを獲得した演目に戻した。ショートはショパン作曲「バラード第1番」、フリーは「SEIMEI」。自らも「伝説のプログラム」と評する。決断に至った胸中をこう語る。

「ちょっと違う気がしたんですよ。目指しているものが。たしかに難しいことをやることはすごい楽しいし、挑戦することもすごく楽しい。でも、楽しいだけじゃない、達成したいだけじゃないなって。滑っている時の感覚だとか、表現したいものが見えるとか。ジャンプと音楽の融合だとか。そういったものがやっぱり好きだった」

 だからこそ自らに誓った。

「強くなりたい、勝ちたいとかじゃなくて、自分のフィギュアスケートを競技としてやりたい」

 少しモヤモヤが晴れ、2月の四大陸選手権に挑んだ。ショート。平昌五輪時と似た衣装に身を包み、リンク中央に立った。目を閉じ、バラード第1番のピアノの旋律が響き渡る。そこから、見る者すべてを自分の作り出す世界に引き込んでいく。4回転サルコー、4回転?3回転の連続トーループ、トリプルアクセル、スピン、ステップ……すべてのエレメンツが流れるようにつながっていく。フィニッシュポーズを決め、一つの芸術作品を完成させた。111.82点。自身が持っていたショートの世界歴代最高得点を更新。それでも羽生は過度に喜ばない。これが自分だ、自分のスケートだ、と誇らしげにうなずいた。

「久しぶりに考えずにいけました。今回は本当に最初から最後まで、気持ちのままにというか、スケートがいきたい方向にすべて乗せられたなという感覚が強いです。もう、なんの雑音もなく滑り切れた。気持ちの流れみたいなものを、最後の音が終わって、自分が手を下ろすまでつなげられたというのが一番、心地よかった」

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