経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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世のため人のため。これを言い換えれば、我がためではないということだ。我がためにはならないことでも、我がためには反することでも、他者のためならそれを行う。これが世のため人のために徹することが意味するところだ。
新型コロナウイルスの猛威が地球を覆う中、今、政治と行政に求められるのが、世のため人のために徹することだ。徹底的に利他の構えで対応を考え、進むべき方向を決めなければならない。
政策責任者たちが危機管理に当たる時、そこには微塵も利己の構えがあってはならない。自分にとって、どんな不都合が発生するのだとしても、世のため人のために必要なことなら、それを実施する。自分にとって、どんなに好都合なことであっても、それが世のため人のためには不要なことなら、それを決して実施しない。この危機のさなかにあって、政権を担う者たちには、ひたすら、この精神が不可欠だ。
ところがどうだ。今この時、日本の現政権は、この精神から最も遠いところで考え、行動している。どこまで行っても、我がため我がためだ。初期対応があいまいでモタモタしていたのは、先走って失点することを恐れてキョロキョロと様子見を決め込んでいたからだ。
次第にモタモタが指摘され、それが失点につながりそうになると、今度は姿勢が俄然、前掛かりになる。充分な検討を経たとは思われないのに、小中高の全国一律休校要請を唐突に繰り出す。新型コロナウイルス対応だというので、新型インフルエンザ特別措置法の改正を持ち出す。その意図するところは、「緊急事態宣言」を発令することが出来るようにすることらしい。
全国一斉休校には、様々な疑念や問題指摘が出ている。今ここで、「緊急事態宣言」を発令することが、どのような意味で世のため人のためになるのか。
我がため我がための原理で行動する者たちは、すぐパニックになる。今、すぐ何かしなければ、失点する。今、ここにすぐ出来ることがある。だから、これが今すぐやるべきことだ。この短絡の中で動く。世のため人のための慎重吟味は抜け落ちる。怖い。本当に怖い。
※AERA 2020年3月16日号