落語家 笑福亭鶴瓶(撮影/写真部・掛祥葉子)
落語家 笑福亭鶴瓶(撮影/写真部・掛祥葉子)
AERA 2019年10月21日売り表紙に笑福亭鶴瓶さんが登場
AERA 2019年10月21日売り表紙に笑福亭鶴瓶さんが登場

 独特の存在感で、常に第一線で活躍する国民的落語家・笑福亭鶴瓶さんがAERAに登場。デビュー当時から現在の活動までを振り返った。AERA 2019年10月28日号から。

【写真】笑福亭鶴瓶さんがAERAの表紙に登場!

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 いつも誰かの傍らでほほ笑んでいる。

 お笑い芸人、俳優、農家、住職……。番組によって毎回相手は違うが、笑福亭鶴瓶は全員と同じように肩を並べて笑う。

「仕事柄、人と会うことは多いけど、人付き合いで疲れたことはないですね」

 1969年、高校時代に笑福亭仁鶴・桂三枝(現・文枝)ブームを目の当たりにして落語家を目指す。当時から自由奔放で勝ち気な性格。母親からは「あんたは全然学ばん子やで、学((まなぶ)鶴瓶の本名)やなくて『無学』や!」と叱られた。

「おもろいなあと思って。それで高校の頃は『浪花亭無学』いう高座名を名乗ってました」

 72年に六代目笑福亭松鶴に弟子入りし「鶴瓶」を名乗ってからは、芸能界で話術の才能が開花。近畿・中京圏でのラジオMCを経て、「笑っていいとも!」「鶴瓶上岡パペポTV」などの番組に出演。知名度は全国区になった。今年11月には10年ぶりの主演映画となる「閉鎖病棟─それぞれの朝─」も公開される。

 一方、噺家としての活動も旺盛だ。月に1度「無学の会」というトークライブを開催。これまでマツコ・デラックス、星野源、小栗旬、神田松之丞、あいみょんなど、200組以上のゲストが出演した。

「ジャンルは関係ないですね。『この人おもろい!』と思ったら、直接電話して出てくれませんかとお願いしてます」

 無学の会を開いているのは、故・笑福亭松鶴の住居を改装した寄席小屋だ。松鶴からはほとんど落語の稽古をつけてもらったことがない。だが、それが師匠の愛ゆえであることもわかっていた。

「亡くなった後にね、師匠が入院中につけていたノートをもろたんです。そしたらそこに『あいつはこのままがええんや』と一言だけ書かれてました」

 型にはまらないし、相手を型にはめない。だから鶴瓶の横に並ぶ人の笑顔は、とても自然だ。(ライター・澤田憲)

AERA 2019年10月28日号