物語では、若い頃は自らの才能を疑わなかった蒔野が、デビュー20年を経て、若手の台頭や才能の枯渇に直面し、ギターが弾けなくなる。クラシックギター界の新星として登場するティボー・ガルシアは、本物の若手クラシックギタリストだ。

福山:ぬきんでた才能を持つ人はたたずまいに説得力がありましたね。役柄を超えたところで、何だか僕自身が若い天才に冷たくされているっていう寂しい感じを受けました(笑)。

 蒔野に共感する部分は多々あります。音楽でも芝居でも、常に若い才能は当然出てくるし、とんでもなく脅威です。文化の進化においては、その時代が認め、求められた者が常に正解なわけです。だから、もちろん邪魔はしないけれど、もう呪うしかない(笑)。

 そういえば若い頃は、上の世代の偉大な人たちに「失敗しろ」と呪いを掛けていましたね。結局、変わってない(笑)。

 いつか才能が枯渇するかも、という恐怖は僕も常にあります。でも、蒔野は真面目だなとも思うんです。才能が涸れたと感じた時、彼はそれをわかっていながら、だましだまし演奏活動を続けることが許せない。

 普通は、「まあ、しょーがない」と諦めつつ、それなりに続けていけば、細々とはやっていけるだろうし、その向こうにまた何かが見えてくるかもしれないと考えるんじゃないでしょうか。でも、それをよしとしなかった。彼は不器用なんですよね。

 蒔野の師匠である祖父江(古谷一行)も物語に深く関わってくる。祖父江はある時、蒔野の才能が自分より上だと気づく。

福山:蒔野の師匠の祖父江先生は、他人の才能を素直に認めることのできる柔らかさを持っていました。若い蒔野がトガっていられたのも、師匠の柔らかさに包み込まれていたからですよね。

 自分の表現のひらめきは消えることがない、あふれる衝動を自在に表現できると思っていた蒔野が、ある日、師匠と同じように自分の限界を知ることになり、新しい世代の新しい表現に押し出される。蒔野はプライドが高いから先生に相談はしないでしょうが、先生なら、今と別の生き方があることをさりげなく示してくれるでしょうね。

(朝日新聞編集委員・石飛徳樹)

AERA 2019年10月21日号より抜粋