事故後初めて公開された東京電力福島第一原発の4号機の原子炉建屋/2011年11月12日、福島県大熊町 (c)朝日新聞社
事故後初めて公開された東京電力福島第一原発の4号機の原子炉建屋/2011年11月12日、福島県大熊町 (c)朝日新聞社
判決の骨子(AERA 2019年10月7日号より)
判決の骨子(AERA 2019年10月7日号より)
これまでの経緯(AERA 2019年10月7日号より)
これまでの経緯(AERA 2019年10月7日号より)

 福島第一原発事故の東京電力旧経営陣の責任を問うた裁判で、次々と新たな事実が明らかになった。技術者たちが「対策不可避」と判断していたにも関わらず、経営陣が対策を先延ばしにしていた驚きの事実に加え、政府や国会の事故調査委員会の機能不全も改めて見えてきた。AERA 2019年10月7日号に掲載された記事を紹介する。

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 事故前、他の電力会社はどんな津波対策をしていたのか。それがわかれば東電の対策が不十分だったかがわかる。そんな基本中の基本とも言える情報も、この刑事裁判でようやく明らかにされた。電力業界ぐるみで事故後もずっと隠してきたようだ。

 日本原子力発電の東海第二原発(茨城県)は、東電が先送りした地震本部の予測をもとに対策を進めていた。原電に出向していた東電社員の証言で初めてわかった(18年7月、第23回公判)。

 地震本部の予測では、津波は敷地高(約8メートル)を超えることが判明。原電の技術者たちは08年8月の常務会で、この予測への対策を進めることを報告した。東電経営陣とは異なり、原電役員たちから反対はなかった。

 海辺のポンプ室の壁を高くしたり、敷地の一部を盛り土で約2メートルかさ上げしたり、建屋の入り口を防水扉や防水シャッターに取り替えたり、防潮堰を設けたりする対策を施した。

 東海第二も、東日本大震災で大津波に襲われたが、ぎりぎりで大事故を免れた。社員は、対策工事の効果があったことを法廷で認めている。

 また、東北電力の津波想定を引き下げようと、東電は圧力をかけていた。これは、東北電力社員が証拠となる電子メールを裁判に提出し、初めてわかった。

 東北電力は、宮城~福島沖で発生した貞観地震(869年)について最新の研究成果を取り入れ、女川原発(宮城県)の津波想定を見直す報告書を08年11月に完成させた。ところがこの内容は東電にとって都合が悪く、福島第一に適用すれば、津波は敷地の高さを超え、対策を迫られるものだった。そこで東電は、東北電力に圧力をかけ、これを書き換えさせた。

 東北電力の担当者は、検察の調べにこう供述した。

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