「そう言うと、『ウソだろ』って突っ込まれるけど、若い頃はこんなもんじゃなかった。本当に偉そうだったんですよ」

 実際、過去の共演者で、樹木さんのことを嫌う人もいる。若い頃に樹木さんに出会っていたら、叱られ自慢をしている場合ではなかったかもしれない。

 昨年3月から4月にかけ、樹木さんにインタビューをした。朝日新聞の連載「語る 人生の贈りもの」のためだった。全部で3日間。雑談も含めて1回に3時間くらいずつ、お話をうかがった。新聞の連載はその一部を構成して昨年5月に掲載したが、このたび、そのロングバージョンが『この世を生き切る醍醐味』(朝日新書)というタイトルで出版される。子どもの頃の思い出から、がんとの向き合い方まで様々な話題を当意即妙、縦横無尽に語っている。

 1回目のインタビューは3月22日、朝日新聞東京本社のレストランで行った。予定していた時間になり、そろそろお開きにしようかと思っていると、樹木さんはこう切り出した。「じゃあ、今からね、きょう一番話したかった話をするわね」

 そう言って、かばんから2枚の検査写真を取り出した。がん細胞が黒く写るPET(陽電子放射断層撮影)だった。1枚は2年前。もう1枚は現在。2年前と比べものにならないほど全身が真っ黒になっていた。

「先生に『この状態でどれぐらいいけますか』って聞いたら、『今年いっぱいでしょう』ということなの。それを踏まえて、私は今ここへ来てるわけ」

 樹木さんに叱られることには慣れていたけれど、こういう展開は予想だにしていなかった。

「『さあ、これを見て、インタビュアーとしてはどうなの?』っていうことを、問題提起したいわけよ。新聞の掲載はいつ? 5月? ならば連載が終わるぐらいまでは、何とか息してるかもしんないけどね」

 私は言葉を失った。そして樹木さんがなぜこのロングインタビューを受けてくれたのか、やっと気づいた。樹木さんはしばしば自分のことを面白おかしく語っている。しかし、自分の半生を体系的に語ることはしてこなかった。樹木さんに「このインタビュー、新聞だけではもったいないから、本にしませんか?」と提案した。すると「本だけはやめて」と言下に断られた(結局は本にしてしまった。すみません、樹木さん)。

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