(写真:gettyimages)
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 メディアに現れる生物科学用語を生物学者の福岡伸一が毎回ひとつ取り上げ、その意味や背景を解説していきます。今回は、謎が多い「ウナギの生態」を解説します。

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 環境省の公式ツイッターが、うな重の画像とともに「土用のウナギはご予約を」とつぶやいて炎上した。その主旨は、「食品ロスにならないよう大事にいただきましょう。食べる方はできるだけ予約して、季節の行事を楽しみましょう!」との呼びかけだったのだが、うなぎの資源問題が懸案される今、わざわざ食べることを推奨するのかと批判が殺到した。おまけに使用していたうな重の画像もネットのサイトからの無断借用であることが判明した。

 とはいえ、うな重のあの香ばしい匂いには抗しがたい魅力がある。わたしは研究修行時代、数年間米国で過ごしたが、もっとも恋しくなる日本食がウナギだった。今では日本食レストランが普及し、うな重、うな丼も食べられる店が増えている(しかし、“なんちゃって”うな丼もあり、ブロッコリーやトマトが一緒にのっていたりする)。

 さて、ウナギの生態ほど不思議なものもないのではないか。

 日本の河川に生息するニホンウナギは、産卵期になると海に下り、なんと2000キロも離れたマリアナ諸島付近の海域で卵を産む。そこから生まれた稚魚は少しずつその姿を変えながら、海流にのって東アジアに近づき、ようやく日本近海にやってくる。この段階で、シラスウナギという稚魚にまで成長し、これが捕獲されて養殖される。

 飼育下のウナギに産卵させ、そこから孵(かえ)った幼生をウナギにまで育て上げる完全養殖は長い年月の試行錯誤の末、歩留まりは悪いものの最近になってようやく確立された。特に難しかったのは孵化直後の幼生が食べるエサがわからなかったことだった。水産庁の研究者たちが、サメの卵と大豆由来のペプチドを与えることによって成長を促すことに成功した。

 それにしても、なぜウナギはそんなに遠くまで卵を生みに行くのか。川の魚が海に産卵に行くのは、一般的に言えば、海の方が稚魚が食べやすい食料(プランクトンなど)が豊富なためである。でも多くの場合、産卵場は河口近くの近海である。

 ウナギに関するひとつの仮説はこうだ。もともとウナギも河口近くで産卵していた。しかし長い年月の地殻変動のせいで産卵場所が徐々に移動していった。一億年いや二億年。膨大な時間が経過し今日に至った。ウナギにとっては同じ場所への往復をただ繰り返していただけなのに、それが今やマリアナ海域にまで遠ざかってしまったのだ。

(文/福岡伸一)

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福岡伸一

福岡伸一

福岡伸一(ふくおか・しんいち)/生物学者。青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。1959年東京都生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授を経て現職。著書『生物と無生物のあいだ』はサントリー学芸賞を受賞。『動的平衡』『ナチュラリスト―生命を愛でる人―』『フェルメール 隠された次元』、訳書『ドリトル先生航海記』ほか。

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