実は過去に、NBAからドラフト指名された日本人がいた。住友金属に所属していた身長228センチの岡山恭崇(64)だ。

 指名する人数が制限されていなかった1981年、ゴールデンステート・ウォリアーズが8巡目の171位で指名した。岡山の「デカさ」が買われた指名だったが、岡山は日本でプレーすることを選んだ。

 日本人初のNBAプレーヤー誕生には、さらに四半世紀近くかかった。2004年に身長175センチの田臥勇太(38)がフェニックス・サンズと契約した。田臥の武器は「速さ」と「うまさ」で、開幕戦を含めて4試合出場した。ただ、初の日本人プレーヤーという歴史を作ったのは間違いないが、ほんのつかの間の出来事だった。

 それからさらに10年以上、NBAは日本人プレーヤーに縁が無かったが、昨年、206センチの渡辺雄太(24)がこじ開けた。渡辺は、ワシントンにある全米大学体育協会(NCAA)1部のジョージ・ワシントン大学で4年間プレー。ドラフトで指名されなかったが、メンフィス・グリズリーズと、下部リーグ(Gリーグ)のチームに所属しながらNBAに登録できるツーウェー契約を結んだ。渡辺は「デカさ」と、シュート力やディフェンスの「うまさ」を兼ね備えた選手だ。

 これに対し、西アフリカ・ベナン人の父を持つ八村は、203センチという「デカさ」と「速さ」、そして「強さ」を併せ持つ。八村自身、先月25日にチームとして初練習を終えた後こう語っている。

「ちょっとやったなかでも、体がデカいのに(速く)動かせるというところは、すごい生きるんじゃないかと思った。オフェンスでも、ディフェンスでも」

 ただ、八村がNBAで活躍できる保証はどこにもない。ましてや、大リーグのイチローや大谷翔平のように、トップレベルの選手になれるとは限らない。

「コーチとチームが言うことは何でもやる。ディフェンスでもオフェンスでも、あらゆるポジションでも一生懸命プレーする。大学でやってきたことをやるつもりだ。もちろん、NBAは高いレベルなので、適応する必要があるが、大丈夫だと思う」

 こう話す八村にとって、1年目の目標はウィザーズのスタメンとして定着できるかどうかになるだろう。(朝日新聞アメリカ総局・土佐茂生)

AERA 2019年7月22日号より抜粋