米NBAのドラフトで、日本選手として初めて1巡目指名された八村塁(21)。日本バスケの歴史を塗り替えた男は、世界最高峰の舞台でどれだけ通用するのだろうか。
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「とても興奮した。今年3月に大学のトーナメントで戦って以来の試合だったけど、良い感じでコートに帰ってこられた」
八村は6日、ラスベガスで開かれているNBAサマーリーグでのデビュー戦後こう語った。
1軍の主力選手は参加せず、2軍か新人ばかりの即席チームではあるが、八村はスタメンで出場し、14得点、5リバウンドというまずまずの成績でデビューを飾った。8日の2試合目では19得点。日本バスケの歴史に名を刻んだドラフト会議から1カ月も経っていないが、徐々に本領を発揮しつつある。
「みなさん、やりました。日本人初、NBAです」
6月20日、ニューヨークであったドラフト会議。9番目にワシントン・ウィザーズに指名された八村は右手で天を指さし、笑顔で叫んだ。
会議を中継していたスポーツ専門局ESPNも絶叫気味にこう伝えた。
「これは社会的にとてつもない出来事だ。日本から23ものメディア媒体の46人もが駆けつけている。米メディアを除けば、もっとも多い数だ!」
翌21日にワシントンで開かれた記者会見にも日本メディアが押しかけた。ウィザーズ広報によると、昨年のドラフト1巡目選手の記者会見には、地元の米メディアのカメラ5台だけだった。今回、20台以上が並んだカメラの前で、八村は喜びをかみしめた。
「どれだけ大きいことなのか、この2日間で実感できた。日本でもすごい取り上げられ、バスケが盛り上がっている。そのなかで僕がアスリートの顔となっていければいいな、と思う」
たしかに八村は歴史を刻んだ。ただ、八村が叫んだ「日本人初」という言葉は少し言葉足らずであり、日本人とNBAの歴史をひもとく必要がある。
世界で4億人がプレーするとされるバスケ。とくにNBAは、身長2メートル超で身体能力もずば抜けた、「デカくて速くてうまい」黒人の独壇場だ。チビで跳べない日本人にとって、NBAというひのき舞台は、あまりにも遠かった。
現在、NBAには30チームが所属する。選手登録は最大15人しかできない。うち、実際に試合に出られるのは12人だ。球団が抱える選手の数が少ないため、ドラフト指名も1巡目と2巡目しかない。30チームが2人ずつ、わずか60人しか指名されないという狭き門なのだ。