経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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妙なものがはやり始めた。MMTである。「Modern Monetary Theory」の頭文字だ。今風金融理論というわけだ。だが、筆者には、最初のMがmadのMにみえる。「まともじゃない」のMにもみえる。どこがmadで、どこがまともじゃないのか。一番本質的なところで認識が狂っている。肝心なことを見落としている。
MMTは、要するに財政赤字容認論だ。通貨発行権を有する国が自国通貨建てで国債を発行する限り、財政が赤字化することに何ら問題はないという。なぜなら、通貨発行権があれば、国債を消化するために必要なだけ、いつでも通貨を創造することが出来る。だから、財政赤字を回避するために緊縮策をとり、そのことで経済成長を犠牲にするのは愚の骨頂だ。通貨発行権という名の打ち出の小槌を持っている国は、大いにそこからカネを振り出して大盤振る舞いに励むべし。こんな調子だ。
アメリカの民主党左派がこの論理を支持しているのだという。情けない話だ。国家権力が、何ら節度なくカネを繰り出し放題、使い放題、ばら撒き放題という状況をよしとするとは、いたってリベラルらしくない。
ここまで来たところで、MMTのMが盲点のMにもみえてきた。通貨発行権を掌握していればいくらでも通貨を発行出来るというのは、あくまでも、その通貨発行権を人々が認知する限りにおいてだ。そして、発行された通貨を人々が通貨だとみなす限りにおいてである。大盤振る舞い財政を賄うために、通貨が大量に発行されたとする。その結果、人々がこんなものは通貨じゃなくて紙切れだと思い始めたら、万事休すだ。その時、通貨製造装置という名の打ち出の小槌は神通力を失う。
ここが盲点だ。換言すれば、MMTは国家権力の不可侵性に絶対的な信頼を置いている。ますます、米国民主党の左派がMMT好きな理由が分からない。
面白いことに、米民主党左派お気に入りのMMTが、日本を模範的事例に挙げている。破綻財政を放置し、その尻ぬぐいを中央銀行の国債大量購入政策に丸投げしている。これぞ、MMTの今風真骨頂らしい。笑える。笑えるが怖い。
※AERA 2019年6月10日号