柏児相によれば、長期欠席がわかった1月21日から心愛さんが亡くなる24日までの4日間の虐待受付件数は23件(全相談受付件数は77件)。緊急を要する虐待相談も含まれていた。一時保護所の定員は25人で、21日時点で28人が入所していたという。

 栗原容疑者は年明けの7日から東京の勤務先に出勤し、21日午後から、インフルエンザを理由に会社を休んでいた。

 栗原容疑者の逮捕容疑は、24日午前10時ごろから午後11時10分ごろの間、妻で母親のなぎさ容疑者(31)と共謀し、自宅で心愛さんの髪の毛を引っ張り、冷水のシャワーをかけ、首付近を両手でわしづかみするなどして首付近に擦過傷を負わせたというもの。なぎさ容疑者は「朝から夜までほとんど寝かせなかった。2日前から繰り返した」などと供述している。栗原容疑者は会社を早退した翌日以降、ほぼ一日中、夫婦で心愛さんに虐待を行っていたことになる。

 なぜ、幼い命は救えなかったのか。心愛さん自身、明確なSOSを出していた。

「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり起きているときにけられたり(中略)。先生、どうにかできませんか」

 2017年11月6日、当時通っていた野田市立山崎小学校のアンケートで父親からの虐待を訴えた。虐待の疑いを把握した柏児相が右ほおにあざがあることを確認し、一時保護した。同年12月27日に、近くに住む親族の元で生活することなどを条件に一時保護を解除したが、冬休み明けに心愛さんは登校しなかった。18年1月12日の市教育委員会指導課職員も交えた話し合いで、栗原容疑者は心愛さんが書いたアンケートのコピーを要求。「訴訟を起こすぞ」などと学校側の対応を非難した。市教委が「子どもの同意がなければ見せられない」と説明すると、栗原容疑者は週明けの15日、アポイントもなく市役所を訪れた。子どもの字で書かれた同意書を持参した栗原容疑者に、市は心愛さんに確認もせずコピーを手渡した。その後、心愛さんは18日に二ツ塚小学校に転校。同校で2回あったアンケートで虐待を訴えることはなかった。

 栗原容疑者の自宅周辺の住人が男の怒声を聞くようになったのは転校したころからだったようだ。アンケート回収を契機に虐待がエスカレートしたとも考えられる。アンケートの冒頭には「ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」「なまえをかきたくないばあいは、かかなくてもかまいません」と書かれていた。心愛さんはしっかり名前を書いていたが、秘密は守られなかった。

 2度目のSOSも放置された。

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