【カルビー執行役員・人事総務本部本部長】武田雅子さん(50)/自身の闘病経験を生かし、がんを経験した人がイキイキと働ける職場や社会を実現するため、民間プロジェクト「がんアライ部」で発起人として活動している(撮影/写真部・小黒冴夏)
【カルビー執行役員・人事総務本部本部長】武田雅子さん(50)/自身の闘病経験を生かし、がんを経験した人がイキイキと働ける職場や社会を実現するため、民間プロジェクト「がんアライ部」で発起人として活動している(撮影/写真部・小黒冴夏)
コーセーでは、医務室の保健師(人事部所属)が従業員の体調の悩みに耳を傾ける。プライバシーに配慮しつつ、同時期に罹患したがん罹患社員同士をつなぐこともある(撮影/写真部・加藤夏子)
コーセーでは、医務室の保健師(人事部所属)が従業員の体調の悩みに耳を傾ける。プライバシーに配慮しつつ、同時期に罹患したがん罹患社員同士をつなぐこともある(撮影/写真部・加藤夏子)

 もはや、がんは不治の病ではない。働きながらがんと向き合う人たちもいる。彼らの体験談から働く環境に必要なことが見えてきた。

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 内閣府の「がん対策に関する世論調査」(2016年)で、仕事と治療の両立が難しいと答えた人のうち、「働き続けることを難しくさせている最も大きな理由」として一番多かった回答は、「代わりに仕事をする人がいない、または、いても頼みにくい」(21.7%)だ。

 13年に進行した「ステージIVa」のすい臓がんだと診断された関直行さん(41)の場合も、当時勤めていた会社に代打要員がおらず、「休業中に部下へ仕事のしわ寄せがいくのが、何よりの気がかりでした」と言う。

 管理職の関さんが任されていたのは、都心にあるビル管理会社の大きな支店。年間12億円の売り上げがあった。術前術後40日間の穴を、20~30代の若い社員4人で埋めてもらわなければならなかった。

「僕の直属の上司が会社の専務で、さすがに仕事をお願いするわけにもいかなくて……。当時、10年以上のキャリアを積んだ人材が少なく、交代を頼めなかったのがつらかったです」

 入院中、24キロも痩せて体力もなく、しょっちゅう高熱が出ていた時期にも、部下からひっきりなしに相談の電話がかかってきた。横になりながら、スマホで大量の報告書に目を通した。点滴を付けたまま院内で電話ができるエリアに移動し、客先に謝りの電話を入れた。

 退院する直前になって、自分の仕事が割り振られて手いっぱいになっていた部下から、こう切り出された。

「もう、会社辞めたいです」

 いったんはとどまったが、関さんが会社に復帰して5カ月後、無理がこたえてその部下を含む3人が同時期に退社した。

 復帰当初は、抗がん剤を服用しており、通勤ラッシュを避けた時間帯に出勤することが認められた。残業も免除してもらった。だが、部下がごそっと抜け、仕事の補填(ほてん)と新人教育を引き受けねばならなくなった。通院の半休や時差出勤配慮があるという前提で、給料は1割減のまま。結局は、フルタイム勤務で残業もある状態に戻ったというのに……。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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