高田工業所では今までのエンジニアとしてのキャリアを生かして若手社員への指導もおこなう。人材不足のなか即戦力となった(撮影/江藤大作)
高田工業所では今までのエンジニアとしてのキャリアを生かして若手社員への指導もおこなう。人材不足のなか即戦力となった(撮影/江藤大作)

 自治体による家賃補助や就職斡旋などの手厚い支援制度が功を奏して、移住者が増加している。2017年度のU・Iターン者数も過去最高を記録した。東京から地元の北九州市に50代後半でUターンを実現させた男性もその一人だ。

*  *  *

 19歳の時、大学進学を機に北九州市を離れ東京へ。そのまま就職し、電気・機械のエンジニアとして長年プラント業界の仕事をしてきた大和将さん(58)。大和さんは、現在、北九州市八幡西区に本社を置く総合プラント建設会社である高田工業所で働く。

 転職したのは17年の11月だ。Uターンのきっかけは、北九州市に暮らす自身の親の高齢化だった。地元である北九州市を離れて以降、日本各地への転勤を経験、海外にも赴任し、さまざまな土地で働いてきたが、頭の片隅ではいつか地元に戻らなければと考えていたという。

 Uターン前に勤務していたのは静岡が本社の企業で、たまたま仕事で通りかかった小倉にある、U・Iターン応援オフィスを見かけた。

「気になってインターネットで調べると、お気軽にお立ち寄りくださいと書いてあったんで、じゃあ気軽に立ち寄ろうかと思って出張の時に行ってみたんですよ(笑)」

 大和さんが今回のUターンで利用した制度は、北九州市セカンドキャリア支援プロジェクトというもの。北九州市が、市内の企業と経験豊富な50歳以上のシニア人材をマッチングするという取り組みだ。

「担当の方は私の年齢をみて初めはちょっと難しいかもという感触だったようだけど、話を色々とするうちにまずはやってみましょう、ということになったんです」

 大和さんはこれまで一貫して同じ業界に専門職として従事しており、キャリアとスキルは申し分なかった。

 実際に動き出してみると、企業の人材ニーズともいくつか合致した。

 大和さんがU・Iターン応援オフィスを初めて訪れたのが7~8月ごろで、高田工業所で働き始めたのが11月。当初の感触からは考えられないほどの早さだ。実は大和さんのように希望する同業種の仕事がすぐに見つかることは難しく、珍しいケースだという。しかし、難しいと思われるケースでもまずは動くことが重要だ。

次のページ