その時期は、日本銀行が金融緩和を推し進めた過程とも重なる。「超」がつく低金利で銀行に貸し出し増を迫り、銀行間競争を煽ってきた日銀が、スルガ銀の暴走を加速させる一因となっていたのは間違いない。

アベノミクス「第1の矢」の担い手として元財務官の黒田東彦総裁を担いだ日銀が、安倍晋三首相の意を受けて大規模緩和を始めたのは13年春。物価上昇率2%の実現を何より優先すべき目標に位置づけ、その実現のために年50兆円ペースで長期国債を、上場投資信託(ETF)も年1兆円ペースで買い入れた。市場への資金供給量を2倍に増やせば、2%目標が2年程度で実現すると予告もしてみせた。

「2年で2倍、2%」

 黒田総裁が威勢のいいキャッチフレーズを繰り返す姿を、ご記憶の読者も多いだろう。

 黒田緩和とは、「物価が上がりそうだ(=景気がよくなりそうだ)」という予想や期待を高めることで、「お金をため込むより使うほうが得」とばかりに財布のひもが緩み、投資や消費が活発化する可能性に賭けたものだ。「景気がよくなるかも」と思わされ、支出も増やした覚えがあるのなら、それが“黒田バズーカ”のプラス効果として称賛されるべきものだ。

 物価上昇率は、14年4月に一時1.5%となった(前年同月比、生鮮食品と消費増税の影響を除く)。ただ、内実は原油価格の上昇、円安による輸入品値上げ、消費税率引き上げ前の駆け込み需要に乗じた値上げの影響も大きかった。消費が元に戻り、原油価格も下がると、物価上昇率もゼロ%前後に戻った。結局、物価は原油価格と円相場、世界経済の好不調に左右されることがはっきりした。

 日銀の巨額の資産購入は、市場では円安・株高を加速させ、株や不動産などの資産価格を押し上げて富裕層や大企業を潤わせた。行き過ぎた円高を是正し、明るいムードを醸し出すのに貢献したのも確かだ。だが、リーマン・ショックや欧州債務危機、東日本大震災に襲われた時期が去り、世界経済が着実に改善するなか、あれほど極端な金融緩和を断行したわりには、一般の企業や家計は日銀が言うほど「物価が上がる」とは予想せず、予想したからといって気前よくお金を使うこともなかった。

 結果論で言えば、最大の失敗は2%を実現できないことではなく、実現できない現実を直視せず、緩和を強めれば2%が実現するとかたり続け、無理筋の強行路線を続けたことだ。

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