著作権はもちろんのこと、ラジオやステレオ機器も普及しはじめて、宣伝、流通、消費の循環が育まれた。作家に入る印税のシステムも出来上がった。これにて、19世紀までの音楽家の数とは桁違いに「作家」が増えるようになった。王侯貴族や、宗教というパトロンではなく、大衆がパトロンとなる課金モデルが確立。複製され、何度も同質の音源が聴けるメディアが大量に販売された。

 国内では国産のポップスが作られ内需も整った。更にCDの時代となって、家電メーカーの企業努力が実を結び、爆発的にCDが売れまくったことは記憶に新しい。

 時代は変わって、今やサブスクリプションなるシステムが出来て、音楽の聴かれ方が激変。1カ月千円程度払えば、数百万曲の中から好き放題曲が聴けるのである。考えてみてほしい、それだけの数「名曲」があるのだ。これを名曲デフレ、作家デフレと言わずして何という。
 さて、「みんなが知っている歌がない」とおじさんは言う。

 注意しなくてはいけないのは、ここで言う「みんな」とは「おじさん」のこと。本当の意味でのみんなではない。“世間を動かしているのは自分たち”という思い込みがあるおじさんたちは、自分の知らないことで盛り上がっているのが許せないのである。作家が多いとか、名曲が多いとかはまた別の問題だ。

※AERA 2018年9月17日号

著者プロフィールを見る
マキタスポーツ

マキタスポーツ

マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。子供4人。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである。』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。近刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)。『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)発売中。

マキタスポーツの記事一覧はこちら