マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』『一億総ツッコミ時代』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞
マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』『一億総ツッコミ時代』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞
“おじさんぶりっこ”しないと男は現代を生き抜けない(※写真はイメージ)
“おじさんぶりっこ”しないと男は現代を生き抜けない(※写真はイメージ)

 お笑い芸人のマキタスポーツさんによる「AERA」の新連載「おぢ産おぢ消」。俳優やミュージシャンなどマルチな才能を発揮するマキタスポーツさんが、“おじさん視点”で世の中の物事を語ります。

*  *  *

 おじさんが「おじさん」を使いこなさなくてはいけなくなってきた。

 おじさんはちょっと前まではおじさんのままでいられた。でも、これからは消費される、ワンランク上のおじさんにならなければいけないのである。

 思えば、昔のおじさんは解像度が低かった。

「飲め飲め! 俺の酒が飲めんのか?」

「子供はまだか?」

「味が無いな、醤油をかけろ!」

「オロナイン塗れば大丈夫だ!」

 現代でこんな発言をすれば、それはもうお漏らしレベルの粗相。こういう反駁(ばく)に遭うだろう。

「無意味。急性アルコール中毒になったら、関係性を深めるどころではない」

「子供を持つことのみが幸せであるという固定観念」

「自己責任でやってください」

「ケース・バイ・ケース、あまりに乱暴すぎる意見」

 現代はおじさんが、むき出しのおじさんのままでいるだけで、即「セクハラ」とか「パワハラ」に当たると思ってよいと思う。そのぐらい迂闊(うかつ)で不鮮明な生き物が「おじさん」だった。

 時代は変わった。

 かつて「ぶりっ子」という言葉があった。これは主に、というか完全に女性に向けて使われていた言葉。「わざとらしい」という誹り(そし)を含んで、やれ「あの娘、男の前だと“かわい子ぶって”!」と、同性からのチェックが入っていた。私はそれを見た時「ああ、女の世界はいろいろと厳しそうだな~」と思ったものである。あと、こういった場面で、大体の男は「“ぶられて”悪い気はしたことがない」という非常にトンマな状態であることが多く、その批評の意味さえ理解していない。

 このことからわかるのは、女性はとっくの昔から「消費される女性性」という荒波に晒されていたということだと思う。他人に“どう見られているか”という目線がそこにはあり、「どう思われるか?」は超訳すれば「嫌がることはしない」という相手に対する斟酌(しんしゃく)へとつながる。批評に対するきめ細かい回答が、「女」という生き物らの解像度を上げてはいまいか。その横を「おっぱいの大きい女は頭が悪い」と言いながらおじさんが通り過ぎて行く。あゝ。

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マキタスポーツ/1970年、山梨県生まれ。俳優、著述家、ミュージシャンなど多彩な顔を持つ。子供4人。スポーツ用品店だった実家の屋号を芸名に。著書に『すべてのJ-POPはパクリである。』ほか。映画「苦役列車」でブルーリボン賞新人賞受賞。近刊に『越境芸人』(東京ニュース通信社)。『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)発売中。

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