■いったん入ると教団の価値観が心を支配

「体験」によって心を支配され、教祖の「空中浮揚」などの非科学的な事柄も受け入れてしまったのは、理科系の高学歴者も例外ではなかった。

 地下鉄サリン事件の実行犯となった広瀬健一(死刑囚)もその一人。大学で物理を学び、大学院で時代の先端を行く研究を行った。当時の恩師の証言によれば、彼には先見性があった。

「彼の(仮説の)正しさは、その10年後に証明された。秀才だった。しかも、無邪気で人を疑うことを知らない。他の学生からも尊敬されていた」

 新興宗教嫌いだったはずが、たまたま書店で麻原の本を手にして興味を持った。その後、ちょっとした非日常的な体験をしたことで関心を深め、在家信者に。それでも、社会生活を離脱して「出家」するつもりはなく、大手電機メーカーの研究所に就職も決まった。

 そんな広瀬を獲得しようと、麻原自ら説得に乗り出した。渋る広瀬に、教祖はこう迫った。

「若い君たちが(人類救済を)やらなくて、誰がやるんだ」

 広瀬は折れた。善意と若者らしい使命感が、利用されたのだった。

 教団内では、人のさまざまな感覚や願望、欲求を「煩悩」「執着」と呼んで否定。それを押しつぶすためのさまざまな「修行」を行う。例えば食事も修行とされ、限られた味気ない食物を、教祖の姿を「観想」しながら食べる。

 ある時、広瀬は何を食べても味を感じず、じゃりじゃりと砂をかんでいる感覚がした。それを、彼は「食への執着が落ちたのかな」と喜んだという。

 教祖は絶対的存在で、発言に疑問を抱くのもご法度。そんな教団の掟を生真面目に守った広瀬は、次第に感性がまひし、善悪の判断力は働かず、教祖の指示を唯々諾々と受け入れた。

 教団武装化のための自動小銃の製造に関わるが、「悪いことをしている」という意識はなかった。それより、指示通りに物事が進まない状況について、「(教祖に)迷惑をかけたという罪悪感」を覚えていた。

 サリン事件の指示を受けた時も、「本能的な驚きや恐怖」は生じたものの、迷いはなく、「指示通りしっかりやろう」と思った。当時の彼の心には、「こんなことをやっていいのか」という疑問や、「やりたくない」などの感情が入り込む余地はなかった。

 あるいは、親との葛藤、人間関係の悩み、居場所探しなどの果てに、オウムにたどりついた者もいた。都会育ちもいれば、田舎育ちもいた。母子家庭の出身者もいれば、大家族の出もいた。何の悩みも迷いもなく一生を終える者はいない。出会いのタイミング次第で、誰もが引き込まれる可能性があった、と思う。そして、いったん入ると、教団の価値観で心を支配されてしまう。ここにオウムのようなカルトの怖さがある。裁判では、そうした問題の本質を知る材料がたくさん提示された。

 一方で、麻原がまともに事実に向き合わないうえ、強制捜査開始後に、最側近の教団幹部が暴漢に殺害されてしまったため、いくつかの事件の動機などに疑問は残った。

 私がもっとも残念だったのは、坂本弁護士一家殺害事件の警察の捜査の問題が解明されなかったことだ。

 事件当初の神奈川県警の動きは極めて鈍かった。捜査の指揮を執る刑事部長は、一家が自発的に失踪した可能性を強調。県警幹部からメディアに、「坂本さんは内ゲバにやられたのでは」などのデマ情報が流された。

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