AERAの表紙に登場した長谷部誠
AERAの表紙に登場した長谷部誠
AERAの表紙に登場した本田圭佑
AERAの表紙に登場した本田圭佑

 サッカーW杯史上にも残る名勝負となったロシア大会決勝トーナメントのベルギー戦後、MF本田圭佑(32)は「W杯は最後」と明言、一夜明けた3日には主将のMF長谷部誠(34)も、代表引退を表明した。

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 10年近く代表の屋台骨を担ってきた2人は、「時代の顔」が登場するAERAの表紙も飾っていた。

 長谷部が表紙となったのは2011年7月4日号。著書『心を整える。』が瞬く間にベストセラーになったころだ。インタビューでも、さまざまなメディアの取材が、プロサッカー選手である前に、著者として聞かれることのほうが多いと気づいたと明かしている。

「責任を感じる。本を読んでくれた人たちは、僕をまじめで堅い人間だと思ったのでは」

 移籍したドイツ1部リーグでは三つのクラブを渡り、主力の座を勝ち取ってきた。組織を生き抜く資質は、この時のインタビューでも垣間見える。

「気を抜くこともある。イメージにとらわれず、いい意味で期待を裏切っていけるようにしたい。僕はこれからも成長して、変わっていくと思うので」

 インタビュー当時は、前年に主将に指名され、それまでの影で支える役割から少しずつ前に出るようになり、気の緩んだ様子が見えた若手をしかったり、すすんで監督と意見を交わしたりするようにもなったころだった。「今の日本代表は順調だし、人気も盛り返している。でも、いつかうまくいかないときがくる。そのときどうするか、今から考えています」と話している。

 8年間、主将として出場した試合数は80超。前人未到の記録の更新を続けた。

 一方の本田圭佑の表紙登場は2014年1月20日号。

「これはいつ頃、撮られたものなんですか」

 撮影現場となった小学校の体育館に並べた世界的アスリートなど過去の表紙。本田は故ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の号を手に取って言った。

 08年、名古屋グランパスエイトからVVVフェンロ(オランダ)に移籍し、W杯南アフリカ大会のアジア地区予選で日本代表デビュー。さらに10年、CSKAモスクワ(ロシア)移籍、W杯南アフリカ大会出場、ACミラン(イタリア)移籍と、とめどなく進化し続けた本田。

 スポーツライターの金子達仁さんは、当時の「表紙の人」で「一人ではなくすべてをライバル視し、かなわない自分にあらゆる方向から激痛を与え続けたのかもしれない」と評している。

 日本サッカーを10年近く牽引してきた長谷部誠、本田圭佑。2人が登場したAERA表紙と「表紙の人」は、AERA増刊「ロシアW杯 サムライブルーの奇跡」で読むことができる。(文中敬称略)

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