「もうお前はいらん、俺らでやる」

 けんかの末そう告げられた坪内は、A4のコピー用紙の両面に大阪で開拓した顧客の連絡先や注文を受ける上での注意事項などの情報をぎっしりと書き込み、長岡に渡してその場を去った。

「私が島の外で何をしていたか知って、長岡は号泣したそうです。以前はただ漁のことしか考えられなかった彼らが、顧客への対応を任せられるステップに進んだと感じました」

 船団丸に戻った坪内は、自身が主に担っていたお店からの受注や箱詰め、発送、伝票づくりといった事務的な仕事を、徐々に漁師たちに任せるようにし始めた。

 漁師らの慣れない作業に飲食店からのクレームやトラブルは増え、123件あった顧客は一時、60件にまで減った。漁だけをしていればよかった漁師にも、作業を強いられることへの不満が募った。だが坪内は言う。

「人を育てることが、組織を育てることなんです」

 坪内は、押し寄せるクレームに5台の携帯電話を駆使して対応した。客におわびを繰り返し、漁師に細かく改善を指示した。それでも、坪内は彼らに仕事を任せ続けた。客との受け答え、梱包(こんぽう)への不満など、トラブル続きの日々が沈静化するまで結局丸2年かかった。

 魚を捕るだけでなく1人で何役もこなす漁師が増え、「強い組織になってきた」という。

「私の役割は組織全体を俯瞰(ふかん)して社員それぞれを適材適所で伸ばすことです。主役は社員。顧客には私のファンになってもらうのではなく、社員一人ひとりのファンになってもらわなければ意味がないんです」

(文中敬称略)(ライター・渕上文恵)

AERA 2018年5月21日号より抜粋