羽生:僕は今、こうやって夢がかなった立場としていろいろな話をさせていただいていますし、実際に自分がずっと夢に描いていたものが首にかかっています。ただ、その夢がかなうまでの過程は、本当にいろいろつらいこともあるし、それを乗り越えられるだけの楽しいことや幸せなこともある。一瞬たりとも同じことってなくて、絶対に一回限りのものだと思うので、全ての瞬間を大切にしてほしいなというふうに思いました。今回、パレードを見た子たちが、いつか単独でパレードできるぐらいの夢をかなえてもらえたら、うれしいなと思います。

記者:平昌五輪での連覇後と、仙台でのパレード終了後、金メダルの重みをどう感じましたか。

羽生:平昌のメダルセレモニーが終わって、首にかけてもらって、金メダルの重みはすごく感じましたけど、それは何か、自分がやりきった、自分の夢をかなえきったという感じだったんです。今回はどちらかというと、みなさんの期待をちゃんと背負えた、受け止め切れたかなと思った瞬間でした。ソチオリンピックの時って、未来にもっと目が向いていて、この金メダルからまた次の金メダルへ走っていくんだという気持ちでずっといたんですけど、今回はどちらかと言うと、ちゃんと取りたかったものが取れたという気持ちで今いるので、そういった意味では、みなさんの応援を受け止めて、みなさんの応援が集まった金メダルをかけているんだなという実感が、今あります。

記者:パレードの途中で「SEIMEI」の決めポーズを披露した瞬間がありました。

羽生:うちわとかに「決めポーズして」と書かれているものがあって、何をしたらいいんだろうと思って。本当に奥の奥の方まで、みなさん待っていてくれて、すごく大きな声で声援を送って手を振ってくれていたので、その方々に届けばいいなという思いで、やらせていただきました。

記者:4年後の北京に向けた思いや、気持ちの変化があれば、教えてください。

羽生:僕はソチオリンピックの2年前まで、この仙台でずっとスケートを続けることができたんですけど、フィギュアスケートを本気でやって、世界のトップを狙えるような設備は整っていないと思っています。僕が仙台でスケートを続けられたのは、荒川(静香)さんがトリノオリンピックで優勝して、アイスリンクへの補助金とか支援をしてくださったから。だから、僕がまた、そういう存在になれたらいいなと思っています。仙台の子どもたちとか、もちろん東北の子どもたちも含めて、スケート以外でも、スポーツの面で支援したい。設備とかで苦しんでいる方々がちょっとした笑顔になれるきっかけや、スポーツが発展するきっかけになったらとも思っています。

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