語彙力不足から「話が通じない」人が現れたり、ネット上の記事には論旨から外れたコメントが散見されたり。現代人の「言葉の理解不足」はあらゆるところで見られる。
もし、私たちが言葉の理解を以前よりなおざりにしているとしたら、どこに原因があるのか。
東京大学教授で英文学者の阿部公彦さんは、「致し方ない面もある」と語る。
「つまりは情報過多なんです。脳のキャパシティーには限界があり、あえて情報を単純化して受け取って、脳が自己防衛をしているのかもしれません」
ツイッターやLINEで、短い言葉で素早く発信することに慣れた。短文での情報のやりとりは、情報を単純化すれば、便利で効率的になる。
「産業革命後、人間に求められるスキルは、職人的な技能から機械を適切に操作する注意力に変わりました。言葉も、ボタンを押すか押さないかというレベルで、簡単に扱っているのでは」(阿部さん)
文字群を目にすると、人は反射的にこう思う。この長い文章は、つまりはどういうことか。いいか、悪いか、敵か、味方か。白黒はっきりつけてほしい。
「そんなふうに言葉を単純化して理解すれば、言葉と直結する人の考えそのものも単純化する恐れがあります。事実かどうか検証したり、意味を考えたりすることから遠ざかっているのかもしれません」(同)
ただし、実際の物事は複雑で、そうそう白黒はつけられない。それなのに、白黒ついていると錯覚しているから、考える時間や理論を組み立てる時間が減っている。
問題は当然生じる。
杏林大学教授で言語学者の金田一秀穂さんが、学生たちに尋ねたときのことだ。
「1日と24時間は同じ長さなのに、『1日置き』と『24時間置き』では時間の長さに差が出るでしょ。どうしてだと思う?」
学生たちは考えるのではなく、口々に無邪気に尋ねた。
「先生、ヒント!」
「答えは?」
「教えてー!」
金田一さんは苦笑する。
「自分で考えるということを、あまり楽しめないみたいですね。ググれば答えはあるから、知っている人がいるから、考える必要はないと思っている。人生は自分で考えて決めなければいけないことばかりですけど」(金田一さん)