「どのお寺や神社も外観や建築様式は、この1400年間ほとんど変わっていません。コストのかかる手作りの曲線や反(そ)りなどの伝統美が継承されてきたのは、神さまや仏さまの住む家やからと敬う気持ちが日本人にあったからではないですか」

 社員は全国津々浦々の寺社を訪ね、営業活動を続けている。担当者を通じて聞くのは地方、とりわけ過疎地域の寺社の窮状だ。檀家や氏子の高齢化や減少で老朽化した山門の補修費捻出もままならないケース、神主や住職不在で朽ち果てるのに任せざるを得ない寺社もある。

「社会状況の変化は避け難い面もありますが、信仰心が薄らいで利益追求のみに走るようになると、社会の歯車が狂ってしまうのではないでしょうか」(刀根社長)

 金剛組は行動基準で、「心の修養と安らぎをもたらす建物を提供する」とうたう。刀根社長はこう力を込めた。

「私たちは、誰もが思わず手を合わせたくなるような寺社をつくらないといけない。そういう人が増えれば、世の中もっと平和になるんじゃないですか」

「ものづくり日本」を代表する老舗の総合電機メーカー「パナソニック」。創業者は言わずと知れた松下幸之助氏だ。「経営の神様」が残した神を敬うDNAは今も社内に息づいている。

 大阪府門真市の本社別館にある「司祭室」。室内は線香の匂いが漂い、壁には不動明王の絵画が飾られている。

「松下(パナソニック)に入って、まさかこういう職に就くとは考えてもみませんでした」

 頭を丸めた袈裟(けさ)姿の田中観士さん(45)が差し出した名刺には、「パナソニック本社グループ人事・総務センター 祭祀(さいし)担当」の肩書があった。本社を始め、関西エリアの事業者に設置されている計24カ所の「社内社」の祭祀一切を仏式で任されている。

 同社には代々、祭祀担当社員がいる。11年から同職に就く田中さんは5代目だ。毎朝出社とともに香をたき、袈裟に着替える。出退勤も記録する。

 田中さんは入社22年目。もともと同社野球部に所属するアスリート社員で、現役時代は技巧派の投手として鳴らした。15年間、野球部に在籍。その後、大阪府内の事業所の営業企画部に転属して間もない頃、突然、「祭祀担当」を打診された。

「当時は、社内に祭祀担当という役職があるのも知りませんでした」(田中さん)

 寺社に縁のある家系でもなく、知識や経験もない田中さんは戸惑い、いったん回答を保留した。しかし、前任の担当社員に「何も知らないほうが邪念もないのでむしろいい」と背中を押され、「野球しかしてこなかった自分を変えたい」と考えていたことも重なり、応じる決意を固めた。

 10年5月から1年間、真言宗醍醐派の総本山醍醐寺(京都市)に修行入り。当時37歳の田中さんは結婚し、小1の子どももいた。「単身赴任」どころか、修行僧は外界との接触を一切断たねばならなかった。携帯電話の使用はもちろん、新聞やテレビを見ることも禁止。11年3月に起きた東日本大震災や東京電力福島第一原発事故の被害の甚大さを知ったのも、寺を出たあとだったと振り返る。

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